2012年4月22日日曜日

イエスだと分かった


礼拝では、エマオ途上の弟子たちとイエスとの出会いの場面を学びました。
み言葉を紹介します。

ルカによる福音書24章13節~16節、25節~32節

:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
:14 この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
:15 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。

:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

イエス・キリストは今も生きて、どんなときにもわたしたちと人生を共にしてくださるお方です。
み言葉に触れる一人ひとりが、信仰の目を開いていただき、自分を慰め、力づけ、救い出してくださるお方が「イエスだと分かる」日が来ますように。



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