2013年9月8日日曜日

患者になりきれる人

心臓外科の名医・天野篤医師は、治療がうまくいく人、元気になれる人はどんな人か、それは「患者になりきれる人」だと言いました。


「患者になりきれる人」とは、大変な状況の中にあっても、自分の病気から目をそらさず、病気から逃げず、腹をくくって治療に向かう人。また、前向きな気持ちを失わず、あきらめず、生きることへの目標や希望をもっている人。
 

そして医師を信じて、医師と共に治療に集中し、専念する人。
 

このような患者さんは、そうでない人に比べて、すーっと回復していくことが多いのだそうです。
 

また、この医師になら命を委ねられる、と思ってもらえると、医師のほうもその思いに何としてでも応えようという気持ちが強くなり、患者さんの強い思いは、ついには医師を動かすというのです。
 

一方で、「患者になりきれない人」もいるのだと言います。
 

それは、いろいろな治療があって、迷いに迷って一つの治療方針を決めたとします。


この医師のもとで、手術を受ける、と決めますが、まだ他にももっとよい治療方法があるのではないかと考え、また迷って、ジタバタしてしまう。

 
その人は、なかなか患者になりきれず、医師との良好な信頼関係を築くのは難しいのだそうです。


今日のオープン礼拝では、聖書に登場する一人の「患者になりきれた人」を紹介しました。


その女性は、12年間病と闘い、いろんな治療を試みましたが、ますます悪くなる一方で、経済的にも、肉体的にも、精神的にも追い込まれてしまいました。そのようなときに、彼女の耳に入ってきたイエス・キリストのうわさを通して、彼女はイエスこそ自分を救ってくれる救い主、神ご自身と信じて、この方に自分の命を委ねたのでした。結果は次の御言葉の通りです。


マルコによる福音書5章25節~34節

:25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
:26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますま    す悪くなるだけであった。
:27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
:29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
:30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
:31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
:32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
:33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」



彼女の信仰が、イエスの内にある神の力を引き出したのです。  神は愛なり!