2013年2月27日水曜日

聖書の預言

毎月一回、水曜日の祈祷会の日を用いて、聖書研究会を開いています。


難しいことではなく、聖書を詳しく学ぶ時間です。


今年は、イエス・キリストの再臨について学んでいます。


聖書の中には、やがて起こる将来のこと語る預言が記されています。


これは預言という文字を使い、「~~~の大予言」とは意味が異なります。
預言者といわれる人達が神が語られたこと、見せられたことを書き記したもので、起こるのか、起こらないのかわからないあいまいなものではなく、必ず実現するものです。もう既に実現した出来事も含まれています。


そして、イエス・キリストが再びおいでになるということを記している箇所が、旧新約聖書をあわせると、1800回以上に上ると言われています。


それだけ、イエス・キリストの再臨というテーマは、とても大切なメッセージということではないでしょうか。


「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」(Ⅱペトロ1:19)



これからも、聖書の預言に注目していきたいと思います。




2013年2月24日日曜日

十字架は今も

















日曜日の礼拝では、初めて教会においでになられた方もありましたので、分かりやすい聖書のメッセージが語られました。


イエス・キリストの十字架は、天国への架け橋です。約2000年前に、イエス・キリストは十字架にかかって、全人類の罪の身代わりとして死んでくださいました。そしてイエス・キリストの十字架を自分の罪のためと信じる人には、罪のゆるしと、永遠の命を約束してくださいました。だれでもイエスを信じて、この十字架の橋を渡るならば、天国へ行くことがゆるされるのです。


ある人は、イエス・キリストが十字架にかけられたのは2000年以上も前であって、今の自分と何の関係があるか?と言います。


今から25年ほど前に完成した瀬戸大橋は、道路と鉄道を併用する橋としては世界一長いそうですが、当時の人だけでなく、25年後の今日も多くの人に恩恵をもたらしています。


50年後に生まれた人も、その恩恵を受けることができるでしょう。自分が生まれる50年も前にできた橋なのだから自分とは何の関係もない。だからこの橋を渡るわけには行かない、などという人はひとりもいないでしょう。


およそ2000年前にかけられたイエス・キリストの十字架という天国への架け橋は、今も開かれて、すべての人の前におかれています。


「すべて十字架の側を通り過ぎるものよ、それはあなたにとって無関係なことでしょうか?」
                 
                     (ジョンス・ステナー作曲「クルシフィクション(十字架)」より」


2013年2月20日水曜日

呼びさます





 




















「りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさました。」(雅歌8:5)


りんごの木とは、十字架の木を象徴しています。


わたしたち人間の心が、真実の愛に目覚めるのは、十字架のもとに立ち、十字架につけられたイエス・キリストを仰ぎ見るときです。


また、わたしたち人間の心には、「立派な人になりたい、聖人になりたい」という思いが、火種のように宿っています。その火種が燃え上がるのもまた、十字架の上に愛に死なれたイエス・キリストとであったときです。


十字架のキリストと出会い、十字架のキリストの愛は、
わたしたちは真の愛を教え、人間として生きる意味を教えてくれます。


愛がないと感じたとき、生きる意味を見失ってしまっているとき、十字架のもとにきませんか。
神の愛は、きっとわたしたちの心を呼び覚ましてくださるでしょう。

神は愛なり!




2013年2月18日月曜日

あなたのためにこうなった



 
 

 
 
ドイツの青年貴族、ツィンツェンドルフ伯は、莫大な財産を持ち、贅沢な暮らしをし、自分の楽しみだけを追い求める毎日を過ごしていました。
 
 
ある日、彼が美術館を訪問し、そこで思いがけず出会った十字架にかけられたキリストの聖画を見つめていると、彼に語りかけられるキリストの声を聞いたのです。
 
 

「わたしはあなたのためにすべてのものを犠牲にしたが、あなたはわたしのために何をしただろうか」と。
 
 
神に背を向けて生きてきた彼のためにさえ、身代わりに十字架にかかられたキリストの愛が彼を圧倒し、その瞬間、かれは180度の回心を経験したのです。
 
 
彼はもてる財産を神と人々のためにささげ、自分自身を神様にささげたのです。
 
 
やがて、彼はモラビアン派(兄弟団)という教団を起こし、全世界に宣教師を派遣し、キリストの愛を伝えていったのです。
 
 
彼に語りかけられた十字架のキリストのみ声が、聞こえてきます。
 
 
「わたしはあなたのためにすべてのものを犠牲にした(十字架の姿にまでなった)が、あなたはわたしのために何をしただろうか。」
 
 
この神の愛に、わたしたちはどう応えたらいいでしょうか?
 
 

2013年2月15日金曜日

キリストに導く準備

おゆみ野で家庭集会がありました。

今年から、ルカによる福音書を学び始めています。

メシア(救い主)の先駆者である、バプテスマのヨハネの誕生の箇所に注目しました。

ヨハネの父であり祭司であったザカリアは、不思議な神様の導きによって生まれた幼子が、メシアの到来のための道を備える使命を与えられたことを悟って、預言しました。

「1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
 1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。
 1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が 我らを訪れ、
 1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」
                                           (ルカ1:76-79)

ヨハネは人々をメシアのもとに導く準備をしました。
その働きは、クリスチャンたちに受け継がれ、今も続いています。

振り返るとなんと多くの方の祈りに支えられて、キリストのもとに導かれたことでしょうか。

よく見たら、もう目の前に、キリスト共に歩む、平和の道が開かれています・・・。

2013年2月11日月曜日

春よ、来い

昨日は、2月のオープン礼拝、午後はハッピーサンデーが行われました。

 

オープン礼拝のテーマは「春よ、来い」

ある詩人は雪が溶けると「春になる」と言ったそうです。

冷たい冬の季節が続きましても、必ずそのあとには春がきます。

今、人生の冬の時を生きている方があるかもしれません。でも、暖かな春の日差しのようにわたしたちの心を照らしてくださるイエス・キリストがおいでになられたら、わたしたちの心にも、春がこないでしょうか。

春よ、来い、早く来い! すべての人の家庭に、すべての人の心に!

 

ハッピーサンデーでは、バレンタインデーにちなんで、チョコのブラウニーをみんなで作りました。

参加してくれたお友だちは5歳から5年生と年齢に幅がありましたが、大きいお友達が小さい子のお世話をしながら、仲良く作ってくれました。生地ができたら、それらをオーブンへ! 焼きあがるまでの時間は、賛美を歌ったり、お話を聞きます。

バレンタインデーの始まりとなった、聖バレンタインの紙芝居を見ました。

聖バレンタインは、愛の聖人と言われ、3世紀後半、ローマ帝国がまだキリスト教を受け入れていない時代に生きた人で、キリストの愛の精神を人々に伝えるために奔走した人です。その精神に従い抜いたがゆえに、ローマで捕えられ殉教していきます。このキリストへの愛に生き、死んでいったバレンタインを聖バレンタインと呼ぶようになりました。バレンタインの処刑された日が2月14日だったのです。これが聖バレンタインデーです。

子どもたちにはそこまで詳しくは話しませんでしたが、わたしたちもバレンタインさんのように、人に愛の言葉、優しい言葉をいつもかけられる人になれるように、と一緒にお祈りしました。

 

お話しを聞いているうちに、隣の厨房からは、チョコレートのいい香りが漂い始め、気持ちはそちらに行ってしまったかもしれませんね(笑)

最後に出来上がったブラウニーをみんなで美味しくいただきました。とっても良くできていましたよ!

 

2013年2月7日木曜日

信仰の遺産

 

今日は、夫婦で誉田にある施設にお住まいの老先生(伝道師)を訪問しました。

一時間ばかりの短い交わりでしたが、先生の内にある深く、また力強い信仰の息吹を吹き込まれて、わたしたちの心は生かされ、強められました。

先生の長年に渡って培ってこられたもの。それは信仰の遺産です。しっかりと受け止めさせていただきたいと思います。

このようなひと時を与えてくださった神様に、そしていつもあふれる愛と笑顔で迎えてくださる先生に心から感謝します。

 

2013年2月6日水曜日

愛に生きる


祈祷会のみ言葉の一部をご紹介
 
 5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
 5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
 
                           (Ⅱコリント51415)
 
 
十字架の上で死なれたキリストの愛が、わたしたちをキリストのように愛に生きるようにと駆り立てます。 神は愛なり!

2013年2月2日土曜日

新しい基準

金曜日のキリスト教入門講座は、しばらく続けていたモーセの十戒シリーズを終えて、再びマタイによる福音書に戻りました。

ユダヤ人たちは旧約の律法を、心を尽くして守ってきました。
律法は外側に現れた罪を指摘するものでした。

けれども、イエス・キリストはさらに新しい基準を定められました。

行いだけではなく、その心の中における罪に目を向けられたのです。

心の中で、誰かを憎いと思う罪、あんな人はいなければと腹を立てる心の罪。それはらは人を殺した罪と同じだと言われるのです。

「そんなに厳しいことを言われたら、みんな罪人じゃないか。」

神様の前では、みんな罪人なのです。

そのすべての人の罪に身がわって、イエス・キリストは十字架にかかって死んでくださったのです。

イエス・キリストは律法と預言を成就するために来たと言われました。
人は自分の力では、罪人の道を離れることはできませんが、イエス・キリストはそれを可能として下さるのです。感謝ですね!