2014年12月8日月曜日
神は我々と共におられる
アドベント(待降節)第2週
礼拝では、羊飼いの礼拝の箇所が語られました。
ルカによる福音書2章8節~20節
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアで ある。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
救い主誕生の知らせは、ベツレヘムの郊外で野宿していた羊飼いたちに告げられました。
王でもなく、祭司でもない。誰よりも神様から遠く離れたような羊飼いたちに、喜びの知らせは届けられました。
彼らは貧しさゆえに、神様なしにはひと時も生きていられない人たちであり、神様を最も必要とする人たちでした。
羊飼いたちは、言ったことでしょう。
「こんなわたしのところにも、救いがやってきた。」
「こんなわたしのことも、神様は愛してくださった。」
お生まれになった救い主イエス・キリストを礼拝した彼らは、実感したことでしょう。
神は我々と共におられる、と。
この喜びの知らせは、2000年の時を超えて、あなたにも届けられています。
もし、あなたが神様を必要としておられるなら、羊飼いの経験した喜びは、あなたのものとなるでしょう。
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)
2014年12月2日火曜日
キリストをいだく
アドベント(待降節)が始まりました。
礼拝で語られたみ言葉はこちら。
ルカによる福音書2章25節~32節
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
メシア(救い主)との出会いにシメオンは人生をかけました。
神の御心に沿った願いに神は応えてくださいました。
ついに、彼は救い主キリストと出会い、その感動は頂点に達します。
人は何に人生をかけるかによってその人生の価値がある意味決まってしまう。
わたしたちは何に人生をかけるでしょうか?
礼拝で語られたみ言葉はこちら。
ルカによる福音書2章25節~32節
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
メシア(救い主)との出会いにシメオンは人生をかけました。
神の御心に沿った願いに神は応えてくださいました。
ついに、彼は救い主キリストと出会い、その感動は頂点に達します。
人は何に人生をかけるかによってその人生の価値がある意味決まってしまう。
わたしたちは何に人生をかけるでしょうか?
2014年10月26日日曜日
ものの本質を変える
礼拝で学んだ聖書の言葉をご紹介
ヨハネによる福音書2章1節~11節
2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
イエス・キリストは、今日も尋ねておられます。
「水をぶどう酒に変え、ものの本質を変えることができる、わたしは誰か」と。
この問いに対する答えが、わたしたちの人生を大きく変えていきます。
あなたは、なんと答えられるでしょうか?
ヨハネによる福音書2章1節~11節
2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
イエス・キリストは、今日も尋ねておられます。
「水をぶどう酒に変え、ものの本質を変えることができる、わたしは誰か」と。
この問いに対する答えが、わたしたちの人生を大きく変えていきます。
あなたは、なんと答えられるでしょうか?
2014年9月29日月曜日
When You Believe
礼拝で語られたみ言葉
ヨハネによる福音書11章40節
「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか』と言われた。」
ルカによる福音書5章1節~11節
5:1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し 寄せて来た。
5:2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
5:3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
5:4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
5:5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
5:6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
5:7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
5:9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
5:10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
5:11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
最近、When You Believe(もし信じるなら)という歌を教えていただきました。
15年前に上映されたPrince of Egypt という、モーセの出エジプトのアニメーション映画の中で歌われているものらしいです。
日本語に訳した歌詞をご紹介します。
幾晩も、祈り続けた
心に希望 抱きながら
もう 恐れない 苦難はあるけれど
山も動かす 力 信じて
奇跡は起こる 信じれば
希望は消せない
誰が奇跡を 成し遂げる
あなたが信じれば 深く心に
大きな信仰を与えられました。
2013年12月9日月曜日
神が求められる協力者
礼拝では、イエスの母となったマリアに告げられた救い主誕生の知らせの箇所を学びました。
ルカによる福音書1章26節から38節まで
1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおと めの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座 をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りま せんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子 は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われ ていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこ で、天使は去って行った。
マリアの協力によって、ついに救い主イエス・キリストの誕生が実現しました。
神様は、いつもご自分の救いの働きをされるとき、人の協力を求められます。
もったいないことです。
受けた恵みをお返ししたい。そんな思いで昨日は教会周辺の家に、クリスマスの礼拝の案内を配らせていただきました。22日にはどなたでも参加していただけるクリスマス礼拝を予定しています。
どうぞお出かけください。
2013年8月27日火曜日
わたしが変われば
日曜日の礼拝では、昨年8月にイエス様を心に迎え、救いを経験された80歳代の女性が、その時の体験談を語って下さいました。
ある宗教で苦しみ、また、娘さんの病のことで悩んでいたこと。
その折に、あるクリスチャンとの出会いがあり、その姿に惹かれ、教会に行かれ、不安が和らいだこと。
その後、自宅に教会があることを知り、通い始められたこと。(千葉シャローム教会です)
教会の方々は温かく迎えてくださり、また、娘さんのためにも心から祈ってくださったこと。
そして、昨年の8月の礼拝に出席していたとき、救われなければならないのは、娘ではなく、自分であると思わされ、主の御名を呼び求めたとき、イエス・キリストが心に来てくださったこと。
イエス様が心にきてくださったとき、初めて自分が罪人であると分かり、罪の赦しを祈ったこと。
イエス様は自分でも変えられらなかった自分の心を一瞬にして変えてくださったこと。
わたしが変われば、世界は変わるという祈りを実感していること。
そして最後に信仰告白されました。
「イエス・キリストこそ、真実の神、永遠の命です」
本当にイエス様は素晴らしい神様です。
ある宗教で苦しみ、また、娘さんの病のことで悩んでいたこと。
その折に、あるクリスチャンとの出会いがあり、その姿に惹かれ、教会に行かれ、不安が和らいだこと。
その後、自宅に教会があることを知り、通い始められたこと。(千葉シャローム教会です)
教会の方々は温かく迎えてくださり、また、娘さんのためにも心から祈ってくださったこと。
そして、昨年の8月の礼拝に出席していたとき、救われなければならないのは、娘ではなく、自分であると思わされ、主の御名を呼び求めたとき、イエス・キリストが心に来てくださったこと。
イエス様が心にきてくださったとき、初めて自分が罪人であると分かり、罪の赦しを祈ったこと。
イエス様は自分でも変えられらなかった自分の心を一瞬にして変えてくださったこと。
わたしが変われば、世界は変わるという祈りを実感していること。
そして最後に信仰告白されました。
「イエス・キリストこそ、真実の神、永遠の命です」
本当にイエス様は素晴らしい神様です。
2013年7月29日月曜日
サマースクール
土曜日、日曜日と1泊で、教会学校のサマースクールが行われました。
今回は、柏にある教会に合流させていただきました。
プールに行ったり、庭でスイカを食べて、種を飛ばしたり?、花火をしたり、楽しいプログラムも盛りだくさん。
でも、一番大切なのは、聖書の御言葉を学ぶこと。
日曜日の礼拝は、大人と子どもの合同礼拝で、子ども達がサマースクールで学んだ、御言葉を語ります。
純粋な子ども達が語る御言葉と共に神様が働いて、メッセージがストレートに心に飛び込んできて、一緒に参加する子どもから大人まで一同の心を感動で満たします。本当に感謝なひと時でした。
千葉シャローム教会では、留守を守る方々で礼拝が行なわれました。
皆さんの篤いお祈りにも感謝します!
お祈りのお陰で、子どもたちも、さらに一歩神様に近づくことができ、心も大きく成長できたと思います。
今回は、柏にある教会に合流させていただきました。
プールに行ったり、庭でスイカを食べて、種を飛ばしたり?、花火をしたり、楽しいプログラムも盛りだくさん。
でも、一番大切なのは、聖書の御言葉を学ぶこと。
日曜日の礼拝は、大人と子どもの合同礼拝で、子ども達がサマースクールで学んだ、御言葉を語ります。
純粋な子ども達が語る御言葉と共に神様が働いて、メッセージがストレートに心に飛び込んできて、一緒に参加する子どもから大人まで一同の心を感動で満たします。本当に感謝なひと時でした。
千葉シャローム教会では、留守を守る方々で礼拝が行なわれました。
皆さんの篤いお祈りにも感謝します!
お祈りのお陰で、子どもたちも、さらに一歩神様に近づくことができ、心も大きく成長できたと思います。
2013年7月25日木曜日
主の御名を唱える
「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが
我らは、我らの神、主の御名を唱える。」(詩編20:8)
礼拝で語られた御言葉。
これは偉大な王ダビデの詩です。
ダビデは、すべての戦いにおいて勝利を得ました。それは彼が主により頼み、主が彼と共におられたからです。
一介の羊飼いの少年であったダビデが、いかにしてイスラエルを統一し、イスラエルの王となり、あの輝かしい黄金時代を築き得たその秘訣は、ダビデが主の御名に対する信仰に、いかに徹底していたかということです。
御名の連祷(繰り返し唱えること)は彼の力、彼の勝利、彼の最大の戦力、すべてのすべてでした。
イスラエルにおいて御名(ハッシェーム)は神ご自身にほかなりません。
御名が唱えられるところに、神はおられ、共に働いて下さるのです。
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト20:24b)
千葉シャローム教会では、この聖書の信仰に従い、主の名を呼んで神を礼拝します。
「わたしは主である(文語:我は主なり)。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)
我らは、我らの神、主の御名を唱える。」(詩編20:8)
礼拝で語られた御言葉。
これは偉大な王ダビデの詩です。
ダビデは、すべての戦いにおいて勝利を得ました。それは彼が主により頼み、主が彼と共におられたからです。
一介の羊飼いの少年であったダビデが、いかにしてイスラエルを統一し、イスラエルの王となり、あの輝かしい黄金時代を築き得たその秘訣は、ダビデが主の御名に対する信仰に、いかに徹底していたかということです。
御名の連祷(繰り返し唱えること)は彼の力、彼の勝利、彼の最大の戦力、すべてのすべてでした。
イスラエルにおいて御名(ハッシェーム)は神ご自身にほかなりません。
御名が唱えられるところに、神はおられ、共に働いて下さるのです。
「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト20:24b)
千葉シャローム教会では、この聖書の信仰に従い、主の名を呼んで神を礼拝します。
「わたしは主である(文語:我は主なり)。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)
2013年6月30日日曜日
心の渇きをいやす
今日の礼拝では心の渇きをテーマにメッセージが語られました。
心の渇きって何でしょう?
詩編42編は心の渇きに対する叫びです。
「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか。」(詩編42編2,3節)
心の渇きは、神に対する渇きです。
イエス・キリストは心の渇きをいやすことがおできになるお方です。
イエスは言いました。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:13,14)
2013年6月24日月曜日
酔生夢死
「酔生夢死」という言葉があります。
「自分がこの世に生まれてきたということを、記録するに足ることを、何もしないで、一生を終わる」という意味です。
自分はどうだろうかと考えさせられます。
はたして、この世に生を受けながら、生まれてきたということを、記録するに足ることを何もしないで、夢のように消えていく人生だとしたら、そこに意味があるのだろうか?
「人に賞賛されること」や「大きなことやること」だけを言っているのではないと思います。
目の前にいる一人の人を、心込めて大切にする、愛する。これも愛された人の心に残る大きな記録を残したのだと思います。
しかし、自分の力には限界があります。神様の力、神様の愛が必要です。
聖書には、危機に直面し、八方ふさがりで、前にも後ろにも進むことができないよう人が、神の言葉を信じて、一歩踏み出したとき、神の力を引き出し、神と共に偉大なことをし、消えることのない記録を残した人達の証しが数多く記されています。
同じ神様が生きておられて、共に働いてくださるなら、同じことがわたし達にも起こるのではないでしょうか?この世に生まれてきたという記録に足ることをすることができるのではないでしょうか?
「もし信じるなら、神の栄光を見る。」(ヨハネ11・40口語訳)
「自分がこの世に生まれてきたということを、記録するに足ることを、何もしないで、一生を終わる」という意味です。
自分はどうだろうかと考えさせられます。
はたして、この世に生を受けながら、生まれてきたということを、記録するに足ることを何もしないで、夢のように消えていく人生だとしたら、そこに意味があるのだろうか?
「人に賞賛されること」や「大きなことやること」だけを言っているのではないと思います。
目の前にいる一人の人を、心込めて大切にする、愛する。これも愛された人の心に残る大きな記録を残したのだと思います。
しかし、自分の力には限界があります。神様の力、神様の愛が必要です。
聖書には、危機に直面し、八方ふさがりで、前にも後ろにも進むことができないよう人が、神の言葉を信じて、一歩踏み出したとき、神の力を引き出し、神と共に偉大なことをし、消えることのない記録を残した人達の証しが数多く記されています。
同じ神様が生きておられて、共に働いてくださるなら、同じことがわたし達にも起こるのではないでしょうか?この世に生まれてきたという記録に足ることをすることができるのではないでしょうか?
「もし信じるなら、神の栄光を見る。」(ヨハネ11・40口語訳)
2013年6月2日日曜日
選び
”あなたがわたしを 選んだのでなく
わたしがあなたを あなたをえらんだ” 讃美歌から
礼拝では、神様の救い、神様の選び(憐れみ)がどれだけ貴いことなのか、学ばせていただきました。
「あなたがたは・・・肉によれば異邦人であり、・・・キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました」(エフェソ11,12)とまで言われた、わたしたち。
ちなみに異邦人とは、イスラエル人以外の人のことを言います。
もともとは、本当の神様を知らず、救いを知らなかった者でしたが、ついに神様の救いはわたしたち異邦人にも向けられていきました。
「神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された」(使徒15:14 口語訳)と。
礼拝後は、教会のメンバーの皆さんと、6月16日のオープン礼拝のチラシを配りに行きました。
今週、来週とご近所の皆さんのもとへ、お届け中です。
チラシをご覧になった皆さん! ぜひ足を運んで下さい。喜んでお迎えします!
わたしがあなたを あなたをえらんだ” 讃美歌から
礼拝では、神様の救い、神様の選び(憐れみ)がどれだけ貴いことなのか、学ばせていただきました。
「あなたがたは・・・肉によれば異邦人であり、・・・キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました」(エフェソ11,12)とまで言われた、わたしたち。
ちなみに異邦人とは、イスラエル人以外の人のことを言います。
もともとは、本当の神様を知らず、救いを知らなかった者でしたが、ついに神様の救いはわたしたち異邦人にも向けられていきました。
「神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された」(使徒15:14 口語訳)と。
礼拝後は、教会のメンバーの皆さんと、6月16日のオープン礼拝のチラシを配りに行きました。
今週、来週とご近所の皆さんのもとへ、お届け中です。
チラシをご覧になった皆さん! ぜひ足を運んで下さい。喜んでお迎えします!
2013年5月26日日曜日
主は助けて下さる
礼拝で繰り返し語られた言葉
詩編20編6節(口語訳)
「今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって/その聖なる天から彼に答えられるであろう。」
とても慰めに満ちた言葉です。
油注がれた者とは、任職を意味していて、神様が選び出して下さった人のことです。
ペトロは、イエスの弟子であったにも関わらず、イエスが人々に捕らえられたとき、3度もイエスを知らないと言って、イエスを裏切った人でした。
けれども、神様はご自分が選び出した人を助けて下さいました。
聖霊を受け、イエス・キリストを心に迎えたペトロは、新しくされ、彼を通して、偉大な神様の救いが実現していきました。
わたしたちがどんなに弱くても、主イエス・キリストは助けてくださるのです。強めて下さるのです。
神様の救いはなんと素晴らしいことでしょう!
詩編20編6節(口語訳)
「今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって/その聖なる天から彼に答えられるであろう。」
とても慰めに満ちた言葉です。
油注がれた者とは、任職を意味していて、神様が選び出して下さった人のことです。
ペトロは、イエスの弟子であったにも関わらず、イエスが人々に捕らえられたとき、3度もイエスを知らないと言って、イエスを裏切った人でした。
けれども、神様はご自分が選び出した人を助けて下さいました。
聖霊を受け、イエス・キリストを心に迎えたペトロは、新しくされ、彼を通して、偉大な神様の救いが実現していきました。
わたしたちがどんなに弱くても、主イエス・キリストは助けてくださるのです。強めて下さるのです。
神様の救いはなんと素晴らしいことでしょう!
2013年5月20日月曜日
イエスの名が強くした
19日の日曜日は、東京世田谷にあるソフィア教会で関東(東京、千葉、神奈川、山梨)にある教会のメンバーが集まってペンテコステ聖会が開催されました。
午前・午後と2回の集会で、とても恵みに満ちた集会となりました。
特に午後は、台湾の婦人が語られた、23年前ではありますが、自身の経験した救いと癒しの証しは、聞く人に神様は今も生きておられる真実なお方であるとの信仰を与えるのに十分でした。
過去の出来事のようではなく、その感動、その喜びが今も彼女の内面に生き生きとして現されたからです。
メッセージで語られた言葉の通りでした。
「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。」
(使徒言行録 3章16節)
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ローマの信徒への手紙10章13節)
2回の聖会を感謝します!
午前・午後と2回の集会で、とても恵みに満ちた集会となりました。
特に午後は、台湾の婦人が語られた、23年前ではありますが、自身の経験した救いと癒しの証しは、聞く人に神様は今も生きておられる真実なお方であるとの信仰を与えるのに十分でした。
過去の出来事のようではなく、その感動、その喜びが今も彼女の内面に生き生きとして現されたからです。
メッセージで語られた言葉の通りでした。
「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。」
(使徒言行録 3章16節)
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ローマの信徒への手紙10章13節)
2回の聖会を感謝します!
2013年4月28日日曜日
十字架は立てり

名取市閖上の被災地を訪問したとき、津波で流された教会跡地に連れて行ってもらいました。
シーサイドバイブルチャペルという教会の十字架塔だけが傾きながらも残っていたといいいます。
震災の約1ヵ月後に、地域の精神的復興を願って再建されました。
すべてのものを跡形もないほど押し流してしまった津波ですが、この十字架だけは踏みとどまってくれました。
十字架による救いが今も変わらないことを力強く語り続けてくれます。
今日の礼拝で聖歌隊が讃美した讃美歌のように。
見よや十字架 ハレルヤ!ハレルヤ!
常に立てり ハレルヤ!ハレルヤ!
陰府(よみ)の風は 吹き荒れど
揺るぎもせで 十字架は立てり
勝利の十字架 ハレルヤ!ハレルヤ!
高く立てり ハレルヤ!ハレルヤ!
贖われし 主のみ民の
感謝の尽きぬ 十字架は立てり
ハレルヤ!ハレルヤ! 十字架は立てり
ハレルヤ!ハレルヤ! 永遠までも
2013年4月21日日曜日
心の復興
| 4月下旬というのに、朝から雪が降り続けていました |
今日は、宮城県仙台市にある仙台ベタニヤ教会で午前・午後2回メッセージを語らせていただきました。
前日から仙台入りし、神学校で同期だった牧師に案内されて、近隣の被災地を短い時間でしたが見て回りました。震災から2年以上もたっていますが、津波の爪あとはいたるところに残されており、そのすさまじさ、すべてを奪われた人々の痛み、悲しみを思うと言葉がありませんでした。
仙台の教会は海から離れており、また高台で津波の被害はありませんでしたが、建物の中はめちゃくちゃになっていたそうです。
集会では、震災については何も語りませんでした。というよりも語れませんでした。ただただ、人の言葉や慰めでなく、神様の愛と憐れみ、慰めがお一人お一人にありますようにと願いながら、一言一言み言葉を語らせていただきました。
仙台ベタニヤ教会でしかできない、地域の人々の心の復興が実現することを願いつつ、帰ってきました。
2013年4月14日日曜日
渇きを覚えている者は

今日は、千葉シャローム教会献堂3周年を記念した春の特別聖会でした。
東京のソフィア教会の牧師がおいでくださり、メッセージを語って下さいました。
午前に続いて行われた午後の聖会では、ヨハネによる福音書5章1節~9節のベトザタの池で行われた38年病気で苦しんでいた男の癒しの箇所が語られました。
「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(6節)
彼は、良くなりたいからこそ、奇跡の池、ベトザタの池のほとりに居続けたわけですが、自分自身に奇跡が起こることを経験することなく、歳月が流れていく間にマンネリ化となり、彼の良くなりたいという本当の願いは次第に薄れてしまったのです。
そんな彼に、イエス様は問いかけられました。「良くなりたいのか。」・・・本当に直りたいのか?
この問いに、目が覚まされ、一同心からイエス様に渇きを覚えて、イエス様を必要として御名を呼びました。そこに素晴らしい神の恵みが注がれてきました。
この集会で、4年生の男の子の心にイエス様はおいでくださり、救いを与えて下さいました。
自分でもイエス様が来てくださった、聖霊を受けたことが分かったとその場で話してくれました。
イエス・キリストは本当に生きておられます。呼べば応えてくださいます。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」(イザヤ55:1)
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くいますうちに。」(同55:6)
2013年3月24日日曜日
成し遂げられた

礼拝では、京都で行われた春の聖会でのメッセージを「成し遂げられた」をDVDで見ました。
「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」
(ヨハネによる福音書19:30)
イエス・キリストの十字架によって、わたしたちの救い、癒し、清め、神様の救いのご計画はすべて完了したのです。
この恵みの中にとどまりさえするならば、神の約束はすべてわたしたちのうちに実現する。
何という恵みでしょうか。アメイジング・グレイスです。
普段の礼拝でしたが、初めて礼拝においでになる方もおられました。これも大きな喜びでした。
2013年3月3日日曜日
神のいのちに生きるよろこび
礼拝で語られたみ言葉
ルカによる福音書7章11節~17節
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
7:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。
7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
ナインのやもめの一人息子の復活の出来事。
それは、罪によってもたらされた死の世界、悲しみの世界からの脱出。
イエスによるなら、それは可能です。
ルカによる福音書7章11節~17節
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
7:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。
7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
ナインのやもめの一人息子の復活の出来事。
それは、罪によってもたらされた死の世界、悲しみの世界からの脱出。
イエスによるなら、それは可能です。
2013年2月24日日曜日
十字架は今も

日曜日の礼拝では、初めて教会においでになられた方もありましたので、分かりやすい聖書のメッセージが語られました。
イエス・キリストの十字架は、天国への架け橋です。約2000年前に、イエス・キリストは十字架にかかって、全人類の罪の身代わりとして死んでくださいました。そしてイエス・キリストの十字架を自分の罪のためと信じる人には、罪のゆるしと、永遠の命を約束してくださいました。だれでもイエスを信じて、この十字架の橋を渡るならば、天国へ行くことがゆるされるのです。
ある人は、イエス・キリストが十字架にかけられたのは2000年以上も前であって、今の自分と何の関係があるか?と言います。
今から25年ほど前に完成した瀬戸大橋は、道路と鉄道を併用する橋としては世界一長いそうですが、当時の人だけでなく、25年後の今日も多くの人に恩恵をもたらしています。
50年後に生まれた人も、その恩恵を受けることができるでしょう。自分が生まれる50年も前にできた橋なのだから自分とは何の関係もない。だからこの橋を渡るわけには行かない、などという人はひとりもいないでしょう。
およそ2000年前にかけられたイエス・キリストの十字架という天国への架け橋は、今も開かれて、すべての人の前におかれています。
「すべて十字架の側を通り過ぎるものよ、それはあなたにとって無関係なことでしょうか?」
(ジョンス・ステナー作曲「クルシフィクション(十字架)」より」
2013年2月18日月曜日
あなたのためにこうなった

ドイツの青年貴族、ツィンツェンドルフ伯は、莫大な財産を持ち、贅沢な暮らしをし、自分の楽しみだけを追い求める毎日を過ごしていました。
ある日、彼が美術館を訪問し、そこで思いがけず出会った十字架にかけられたキリストの聖画を見つめていると、彼に語りかけられるキリストの声を聞いたのです。
「わたしはあなたのためにすべてのものを犠牲にしたが、あなたはわたしのために何をしただろうか」と。
神に背を向けて生きてきた彼のためにさえ、身代わりに十字架にかかられたキリストの愛が彼を圧倒し、その瞬間、かれは180度の回心を経験したのです。
彼はもてる財産を神と人々のためにささげ、自分自身を神様にささげたのです。
やがて、彼はモラビアン派(兄弟団)という教団を起こし、全世界に宣教師を派遣し、キリストの愛を伝えていったのです。
彼に語りかけられた十字架のキリストのみ声が、聞こえてきます。
「わたしはあなたのためにすべてのものを犠牲にした(十字架の姿にまでなった)が、あなたはわたしのために何をしただろうか。」
この神の愛に、わたしたちはどう応えたらいいでしょうか?
登録:
投稿 (Atom)


