2013年6月24日月曜日

酔生夢死

「酔生夢死」という言葉があります。


「自分がこの世に生まれてきたということを、記録するに足ることを、何もしないで、一生を終わる」という意味です。


自分はどうだろうかと考えさせられます。


はたして、この世に生を受けながら、生まれてきたということを、記録するに足ることを何もしないで、夢のように消えていく人生だとしたら、そこに意味があるのだろうか?


「人に賞賛されること」や「大きなことやること」だけを言っているのではないと思います。


目の前にいる一人の人を、心込めて大切にする、愛する。これも愛された人の心に残る大きな記録を残したのだと思います。


しかし、自分の力には限界があります。神様の力、神様の愛が必要です。


聖書には、危機に直面し、八方ふさがりで、前にも後ろにも進むことができないよう人が、神の言葉を信じて、一歩踏み出したとき、神の力を引き出し、神と共に偉大なことをし、消えることのない記録を残した人達の証しが数多く記されています。


同じ神様が生きておられて、共に働いてくださるなら、同じことがわたし達にも起こるのではないでしょうか?この世に生まれてきたという記録に足ることをすることができるのではないでしょうか?


「もし信じるなら、神の栄光を見る。」(ヨハネ11・40口語訳)





0 件のコメント:

コメントを投稿