2012年11月29日木曜日

話に耳を傾けます

木曜日は集会がないため、面談日としています。牧師も時間を空けるようにしていますので、何でも気軽にご相談、お話しに来ていただければと思っています。

ご相談を受けた回数は少ないですが、一応重なってもいけませんので、予約制とさせていただいています。もちろん秘密は守りますし、お金は要りません。

今日は、一人の80代のご婦人が相談に来られました。

牧師は、話に耳を傾け、必要があれば助言させていただきます。ご本人が望まれれば、共にお祈りをします。

ご相談に来られた方が、晴れ晴れとした顔をして帰っていかれる時、ホッと安心しますし、導いてくださった神様に感謝します。

お一人お一人の人生を神様が支えてくださいますように。

 

2012年11月28日水曜日

愛によって新たにし

祈祷会で学んだお言葉

旧約聖書のゼファニヤ書3:17

「お前の主なる神はお前のただ中におられ

勇士であって勝利を与えられる。

主はお前のゆえに喜び楽しみ

愛によってお前を新たにし

お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

 

神様は遠いみ空の彼方におられるのではなく、私たちの心を住まいとしてくださいます。

心の内で神様と交流するとき、神様は私たちの内から生きてくださいます。人を通して神様がこの地上を生きること。神様は望んでおられます。

では、私たちは神様の願いを満たし、神様を喜ばせているでしょうか?

自分の姿をみると、はいそうですとは、なかなか言えないかもしれません。

そんな私たちでも、神様は無条件で愛してくださっています。そして、その愛は私たちを造り変えて、愛で満たし、主イエス・キリストのように愛に生きる人にしてくださいます。

そうやって変えられた私たちを、神様は喜んでくださるのです。

何と恵み深い言葉でしょうか。本当に神様は愛です。

 

祈祷会の後は、クリスマスのオープン礼拝のチラシを配る準備をしました。次の日曜日に、ご近所にクリスマスの特別なオープン礼拝「クリスマス・ファミリー礼拝」のご案内をお届けします。

 

 

2012年11月26日月曜日

心と体の癒し

昨日のは健康感謝礼拝でした。語られたみ言葉を紹介します。

マタイによる福音書9:1-8

1イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。

2すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、⌈子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される⌋と言われた。

3ところが、律法学者の中に、⌈この男は神を冒涜している⌋と思う者がいた。

4イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。⌈なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。

5『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

6人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。⌋そして、中風の人に、⌈起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい⌋と言われた。

7その人は起き上がり、家に帰って行った。

8群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。

イエス・キリストは肉体の病を癒すだけでなく、罪を赦し、心の病をも癒すことのできるお方です。この方こそ、真実の神永遠の命です。

午後は、ハッピーサンデーでした。クリスマスの集会に向けて練習を積んでいます。

その後は、みんなでクリスマスの飾り付けをしました。小さなお友達も手伝ってくれて、とっても綺麗に飾ることができました。





2012年11月13日火曜日

医者を必要とするのは

午後に、ご病気の方を訪問しました。

病気による体の辛さは当然あるのですが、不安や恐れはそれ以上に耐え難い苦しみです。

イエス様がその苦しみを取り除き、救い出してくださるように一緒にお祈りしました。

 

イエス・キリストは言われます。

⌈医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。⌋(マタイ9:12,13)

ご病気を抱えていたり、心に苦しみを抱えている方は、自分は大丈夫と我慢しないで、救い主であり、癒し主である、イエス・キリストのもとに来てほしいと、心から願っています。ここに救いがあるからです。

 

2012年11月12日月曜日

イエスは御覧になった

「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。」(マタイ8:14)

保育園をお休みした5歳の娘と、私たち夫婦で信徒の方のお宅を訪問しました。

ご本人とも当然お会いしましたが、今回はご家族の方々とお会いできればと思っていました。

近くに住んでいるご親族、施設で暮らしているご親族、自宅を含めて4箇所訪問させていただきました。お話では聞いていても、実際そこに赴いて、お会いしてみなければ分からないことが沢山あります。

訪問中、イエス様がペトロの家に行き、病の中にあった彼の姑を愛と憐みの眼差しで御覧になり、癒していかれたお姿が思い起こされました。

幸い、その日は神様が備えてくださったのでしょう、親しくお話する時間と場所が設けられており、一緒にお祈りすることもできました。皆さん、色々な状況の中で癒しを必要としている方々ばかりです。ペトロの姑を癒された主が働いてくださったことを信じます。

 

2012年11月11日日曜日

病を負われるキリスト

オープン礼拝で語られたみ言葉。

 

14イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。

15イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。

16夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。

17それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。⌈彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。⌋

イエス様がご覧になったのは、高熱で床にふしている年老いた女性ですが、ただ病だけに目を向けられたのではありません。病のために自分の居場所を失い、自分は家族の役に立たないのではないか、自分は生きている意味もないのではないか、と独り寂しくしている彼女の全生活に目を向けられたのでした。

イエスの救いは、病気を癒すだけではなく、その人の心を、その人自身を立ち上がらせることだったからです。

彼女は、病癒されたとき、立って人々をもてなしはじめたのでした。

このことを通して、イエス・キリストは人々の患いを負い、病を担うと言われた約束の言葉が真実であることを、証しされたのでした。

そして、イエス・キリストは今も生きて、私たちの患いを負い、病を担っていてくださるのです。

神は愛です!

 

 

2012年11月5日月曜日

11月のオープン礼拝

 

来週の日曜日は、オープン礼拝です。

神様による癒しをテーマとして取り上げています。

肉体の癒し、心の癒し・・・今ほど癒しの必要な時はないのではないかと思わされています。

聖書には病や様々な困難な中にある人が、イエス・キリストを神として、救い主として仰いだ時、神様による驚くべき救いを受けたという記録がたくさん残されています。その救いの時代は今も続いています。

今度のオープン礼拝では、今もなお続いている神様の救いを、受け取らせていただきたいと願っています。祈りを必要とする方のためにも、お祈りさせていただきます。初めての方でも大歓迎です。ぜひ一度おいで下さい。

 

今日は夕方に、車で15分ほど走ったところにあるご家庭の、病に苦しむ方を訪問してお祈りさせていただきました。神様の救いが、すでに始められていることを信じます。

 

あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。」(ヤコブ5:14,15)

 

2012年11月4日日曜日

キリストの顔に輝く神の栄光

礼拝で語られたみ言葉

ヨハネによる福音書9:1-7,35-41

1さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

2弟子たちがイエスに尋ねた。⌈ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。⌋

3イエスはお答えになった。⌈本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

4わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。

5わたしは、世にいる間、世の光である。⌋

6こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。

7そして、⌈シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい⌋と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、⌈あなたは人の子を信じるか⌋と言われた。

36彼は答えて言った。⌈主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。⌋

37イエスは言われた。⌈あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。⌋

38彼が、⌈主よ、信じます⌋と言って、ひざまずくと、

39イエスは言われた。⌈わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。⌋

40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、⌈我々も見えないということか⌋と言った。

41イエスは言われた。⌈見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。⌋

「自分は見えない」「暗闇の中にある」ということは辛いことですが、その人は救いを必要として、神様に近づくこうとしますし、神様もその人に近づいてくださいます。それは幸いなことなのではないでしょうか。