2012年11月11日日曜日

病を負われるキリスト

オープン礼拝で語られたみ言葉。

 

14イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。

15イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。

16夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。

17それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。⌈彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。⌋

イエス様がご覧になったのは、高熱で床にふしている年老いた女性ですが、ただ病だけに目を向けられたのではありません。病のために自分の居場所を失い、自分は家族の役に立たないのではないか、自分は生きている意味もないのではないか、と独り寂しくしている彼女の全生活に目を向けられたのでした。

イエスの救いは、病気を癒すだけではなく、その人の心を、その人自身を立ち上がらせることだったからです。

彼女は、病癒されたとき、立って人々をもてなしはじめたのでした。

このことを通して、イエス・キリストは人々の患いを負い、病を担うと言われた約束の言葉が真実であることを、証しされたのでした。

そして、イエス・キリストは今も生きて、私たちの患いを負い、病を担っていてくださるのです。

神は愛です!

 

 

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