2012年1月31日火曜日

時間のつかいばえ

昨年10月に100歳を迎えたられた聖路加国際病院理事長の日野原重明先生の言葉を最近読みました。とても心に残る言葉ですので、ご紹介したいと思います。

十歳のきみへ ―― 95歳のわたしから

 なにもしなくても、人はだれでも年をとっていきます。からだはどんどん成長して、おとなの外見になり、やがては老いて、ちょっとこわいですけど、いつの日にか死をむかえます。それはだれもが共通してたどる道です。そこに時間が流れています。
 ただし、その道をどんなふうに歩いていくか、時間のなかに何をつめこんでいくかは一人ひとりがちがいます。
 ここに、きみにいのちをふきこまれて生きてくる時間と、むだに過ごして死んだも同然の時間があるわけです。
 わたしがこれから先、生きていられる残り時間は、きみにくらべるとずっと短いでしょう。けれども、それだけにいっそう、一瞬一瞬の時間をもっと意識して、もっと大事にして、せいいっぱい生きたいと思っています。
 そして、できることなら、寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけにつかうのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう人間になれるようにと、わたしは努力していきます。
 なぜなら、他の人のために時間をつかえたとき、時間は一番生きてくるからです。時間のつかいばえがあったといえるからです。


 考えさせられますね。




2012年1月30日月曜日

いつもいっしょさ

昨日は、午後に子供たちの集まりがありました。
普段のハッピーサンデーは月一で行っているのですが、今回は今年小学校を卒業する6年生を送る会で歌う「歌とおどり」を練習したり、お話を聞いたりしました。


さんび「一緒に歌おう」

心が暗くなったなら 叫ぼうよ イェスさまに
なんでも知ってるイェスさま すぐに助けてくれる

ハレルヤ 十字架を見上げて
ハレルヤ いつもいっしょさ!



その後は、子供たちは思い思いに遊んでいます。


とっても寒い日でしたが、みんな外に飛び出していきます。
子供たちの元気には圧倒されます!


さて、昨日はまた地域の方々のポストにチラシを投函させてもらいました。
たくさん、いろんなチラシがポストに投函されますが、どうぞ「あの小さい黄色いチラシ」に注目してください。そこには、あなたへのメッセージが書かれていますから!

2012年1月28日土曜日

明日は投函日

今日は栄光クリニック2Fの衛川ホールで、家庭礼拝が行われました。


こちらは、千葉シャローム教会の旧教会で、12年間お世話になった礼拝堂です。


昨年の10月からスタートした家庭礼拝ですが、ご近所の方々を含めて、20名を超える方々が集まってきてくださいます。今年も、さらに祝福された家庭礼拝となりますようにとお祈りします。


明日は、千葉シャローム教会での礼拝ですが、礼拝後、地域の方々に2月のオープン礼拝の案内のチラシをお届けします。ぜひ案内のチラシをご覧いただき、教会に足を運んでくださればと思います。


2012年1月26日木曜日

春が来る

寒い日が続きますが、庭に植えられている木を見ますと、新芽が出始めているのを発見しました。ちなみにこの写真は関係ありません。


氷が解けると何になる? との問いに対してある詩人は、「春になる」と答えたそうです。


今は、冷たく凍りついていたとしても、暖かな太陽の光を浴びるときに、溶かされていきます。


今、人生の冬を経験しておられる方があるでしょうか。あなたの心に、暖かな光が差し込むことができるよう、お祈りします。冬が終われば、春が来るように、あなたの人生にも必ず春が来ます。そのことを信じてみませんか。


さて、千葉シャローム教会では、毎週木曜日は牧師(あるいは牧師夫人)との相談日としています。心を傾けてお話をお聞きします。必要な方は事前に予約をしていただけると時間を確保しやすくなります。まずは、お電話を! お待ちしています。

 連絡先などは、千葉シャローム教会ウェブサイトにてご確認ください。

 http://www.sepia.dti.ne.jp/chibashalom/



2012年1月23日月曜日

AAA

昨日の礼拝では、予告通り、「明るい信仰をもって」とのテーマで御言葉を学びました。
(金曜日の記事と重複する部分もあります)


マタイによる福音書15章21節~28節


結びの1節は、「そこでイエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた。」


イエス・キリストが喜び、称賛された信仰を婦人が持つことができた時、偉大な神の御力を引き出すことができました。


イエスが喜ばれた3つの信仰に注目しました。 AAA(三つの信仰の頭文字)です。


①あるべき信仰
 「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」というイエスに対する信仰告白です。
 「主」という告白は、「イエス様、あなたはわたしの神様です」という意味。
 「ダビデの子よ」とは、「イエス様、あなたはわたしの救い主様です」という意味。
 
 イエス様は神様です。イエス様は救い主様です。という信仰告白こそ、イエスが喜ばれる、わたしたちの持つべき、あるべき信仰です。


②あきらめない信仰
 イエスの沈黙に対しても、弟子たちの冷たい対応に接しても、また、一見断られたように感じられる言葉に対しても、決してあきらめませんでした。
 どうしても助けてほしい、という母の愛がそうさせました。それ以上に、イエスと出会ううちに、イエスの内にある神的なものに触れ、この方以外に救いはないと確信したからです。


③明るい信仰
 イエスの御力を信じ、イエスの内にある神の愛を信じ、どんなことを言われようとも、あふれるばかりの恵みを受け取ろうとしがみつき、退かなかった、前向きな、明るい信仰です。
 

 神様は愛である。神様はすべてを最善にしてくださる。たとえ試練があったとしても、それを益に変えてくださる。


 千葉シャローム教会は、この明るい信仰をもって、この一年進んで行きたいと思います。


2012年1月20日金曜日

明るい信仰

朝から緑区おゆみ野地区での家庭集会に行ってきました。


今日は、マタイ福音書15章21節~28節からカナンの女の信仰を学びました。


娘の病気の癒しのために、どんなにうるさがられても、拒絶されたように見えても、諦めることのなく、落ち込むことなく、忍耐をもってイエスを信じ、イエスに救いを求めた婦人です。


最後はイエスがこの婦人の「立派な信仰」(英語では Great Faith)を見て喜び、彼女を祝福し、彼女が切望していた癒しを与えられたのでした。


この婦人の姿からこんなことを学ぶことができました。

①愛は退くことを知らない
  母の愛は、もっとも神様に近いといわれていますが、娘を救いを自分のものとして必死に祈り求めています。

②イエスに対する信仰
 イエスのことを聞き、イエスに触れるうちに、彼女の信仰は、「主よ」とイエスに対して生ける神に対する祈りをささげ、しかもひれ伏してイエスを神として礼拝しています。

③どんなことにも落胆しない
 どうして落ち込まなかったのでしょうか。それは、イエスだけがただ一つの希望であったからです。そこにはどんなことにも砕かれない信仰と決意がありました。

④明るさがあった
 イエス様だったら必ずやってくださる、という明るい信仰があった。


今年一年、千葉シャローム教会もこのカナンの婦人に倣って「明るい信仰」で進んでいきたいと思います。どんなことがあっても信じて、愛して、前進、前進、小さな歩みでも神様の御力に頼りながら進んで行きましょう!


この御言葉で、日曜日にもう一度メッセージを語りたいと思います。

2012年1月18日水曜日

あなたがたの光を

今日の祈祷会のお祈りの時のことば。


「あなたがたは世の光である。」「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタイによる福音書5章14,16節)


イエス自身がご自分のことを「わたしは世の光である」と語られました。イエスは、人々の心の暗闇を照らす光であり、人の心をあたためてくださる愛そのものです。そしてイエスを信じ、心に迎えた人たちに向かって「あなたがたも世の光」だと語られるのです。


今から30年ほど前、わたしの心にイエスは、「我は主なり」とご自分の名を名乗りながらおいでくださいました。そして、わたしの心の暗闇を照らしてくださいました。その時から、大きな意味でわたしの人生の目的は定まったのだと思います。


そして、今も、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と語り続けられる御言葉に導かれ、今日のわたしがあることを感じています。


今日一日、イエス・キリストと同じように生きることができますように。

2012年1月16日月曜日

こころの時代



















先週こんな番組がやっていました。


<Eテレ「こころの時代~宗教・人生~」サイトから>

 交野キリスト教会前牧師で、日本長老教会西部中会巡回説教者を務める小形真訓さんは、40年前、サラリーマンとして会社勤めを続けながら、大阪・交野市に小さな教会を立ち上げた。定年退職するまで25年間、サラリーマンと伝道師という「2足のわらじ」の生活を送り、定年後は神学校に入って正式な牧師に。小形さんは「聖書は、人生のノウハウが詰まった実用書」だという。「聖書のことばに導かれた」という人生を聞く。交野キリスト教会前牧師で、日本長老教会西部中会巡回説教者を務める小形真訓さんは、40年前、サラリーマンとして会社勤めを続けながら、大阪・交野市に小さな教会を立ち上げた。定年退職するまで25年間、サラリーマンと伝道師という「2足のわらじ」の生活を送り、定年後は神学校に入って正式な牧師に。小形さんは「聖書は、人生のノウハウが詰まった実用書」だという。


牧師の人柄から、とても温かい雰囲気がにじみ出ていて、感動しました。


牧師がインタビューの最後のほうに一般の方の宗教に対する誤解についてこう語っておられました。


①宗教は「なまけものをつくる」のではないか?
 回答:わたしはその逆だと思います。働く人間をつくると思います。バランス感覚があって、節度をもって一生懸命働く人材をつくると思う。

②宗教は「逃避」ではないか?
 回答:そうではないと思います。逃げるのではなく、足場をつくるのだと思う。物事に対して前向きに積極的に生きるための足場を用意してくれるのだと思う。

③宗教は「人を束縛する」のではないか?
 回答:そう言われることが多いかもしれません。けれども、実際は何が自分を縛っているのでしょうか?それは宗教なのではなく、その人の欲なんじゃないかと思うのです。そしてそれは人間のふつうの姿です。そういう束縛から解放するのがわたしたちの大切な働きだと考えています。


皆さんはどう思われますか?


2012年1月14日土曜日

あなたと共にいる


















明日は、聖イエス会の各地の教会で新年聖会が行われます。


東京、千葉、横浜、山梨の教会は東京(世田谷)に集まる合同の礼拝です。
講師の先生方が北海道から沖縄へ、それぞれ向かわれます。


「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト3:12)


モーセと共にいて、イスラエルをエジプトの奴隷から解放し、約束の地に導いてくださった神様が、講師の先生方と共にあって、会衆一人ひとりの心を照らし、神様と共に歩む素晴らしい信仰の道へと導いてくださいますように。



明日は、千葉シャローム教会では、聖会に出られない方のために朝9:30から礼拝が行われます。

2012年1月12日木曜日

こんなはずでは

ハマナス(低木ですが、極寒の地で生き抜くために、
地中に2~3メートルも根を張るそうです)















わたしたちは自分が調子がよく、物事が順調に進む時は、とても気分もよく、充実した気持ちになります。でも一転して、すべてが裏目裏目に出てしまい、何もうまくいかなくなってしまうとき、思わず出てくる言葉は、「こんなはずでは・・・」でしょうか。


そして調子が良かったときの自分に戻ろうと努力します。ところが状況は一向に好転しません。
そうすると、だんだん言葉では表せない焦りや無力感に襲われてしまう。


こんなことを繰返した経験はありませんか。


本当は、調子のいい時の自分も、悪い時の自分も、同じ自分なんですよね。
そして神様は、そんなわたしたちをそのまま愛してくださっている。


マラソンの金メダリスト、高橋尚子さんは、陸上部の恩師からこんな言葉を贈られたということは有名です。


「 何も咲かない寒い日は、
下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。 」

今日の天気のように寒い冬のような毎日を生きている人はいませんか。


あなたのありのままを愛してくださっている神様に向かって根を伸ばしてみませんか。
かならず素敵な花が咲くことを信じています。




2012年1月10日火曜日

たったひとつのカギ













子供(小学生高学年)に絵本が紹介されていた。


マーティン・ルーサー・キング牧師


暴力に対して非暴力で立ち向かい、公民権運動につくした偉大な人物です。


この本は、彼の生涯に触れながら、その語ってきた力づよい言葉をとりあげています。


「にくしみは にくしみをひきおこします。
 愛だけが にくしみを けしさることが できるのです。」


わたしたちの周りでも、人種差別のように表面化していないかもしれませんが、もし心の中で、おなじように人を見下したり、にくんだりということ同じことが起こっているかもしれません。
そのようなわたしたちにもキング牧師は力づよく語ってくれているような気がしてなりません。


「愛こそが
 あらゆる問題を かいけつする
 たったひとつの カギなのです。」

2012年1月8日日曜日

弱い時にこそ強い




















礼拝では、出エジプト記3章のモーセと神様との出会いの場面を学びました。



奴隷としてとらわれているイスラエルの民をエジプトから解放する使命を神様から託されたモーセですが、この任務は彼にとってはあまりにも重いものでした。けれども、彼は自分の弱さをかなぐり捨てて、神の言葉に従っていきます。


「わたしはある」と言って、自分の無を埋め尽くす方が共にいてくださることを信じました。


そのとき、彼はイスラエルの人々を、エジプトから解放するという世紀の大事業を成し遂げることができたのです。


彼の生涯を学ぶとき、「わたしは弱い時にこそ強い」(Ⅱコリント12・10)とのお言葉が迫ってきます。



午後は、ハッピーサンデーが行われました。
連休で出かけているお友達もあったりと、少人数の集まりでしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。
お箸で大豆をおわんからおわんへ移すゲームでは、牧師、先生、ご父兄の方も加わり、チームで競いとても盛り上がりました。


次回は、3月の6年生を送る会の準備のため、1月22日14:30に集まることになっています。

2012年1月7日土曜日

幸せな日曜日

明日の午後は、子供たちのための集い、「ハッピーサンデー」があります。


文字通り、楽しく、幸せな日曜日を過ごしてもらいたいと思っています。


昨年の2月から初めて、もう1年がたとうとしています。
去年のクリスマス会では、ハッピーサンデーに来てくれているお友達が手話付きの賛美をしてくれました。純粋な子供たちの姿と、子供たちを愛される神様の愛に触れて、手話を教えてくれていたお母さんや先生も感動して思わず涙がこぼれました。


さて、今年も新年から元気よく行っていきたいと思います。
新年ということで、聖書のお話しに加え、かるた大会、ビンゴゲームも行う予定です。

午後2:30~ 4:00頃まで

ご父兄の皆さんもおいでいただければ嬉しいです!

2012年1月6日金曜日

日ごとの糧を
















午前中に月に一度行われているキリスト教入門講座が行われました。


今は、マタイによる福音書をテキストとして、とても有意義な学びの時をもっています。


今日は「主の祈り」というイエス・キリストが弟子たちに教えてくださった祈りの後半部分を学びました。


その一つは、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6・11)です。
新改訳という聖書では、「わたしたちの日ごとの糧をきょうもお与えください」となっていました。


どちらも同じ意味ですが、御言葉から教えられることを少しご紹介したいと思います。

①明日のことは思い煩わなくていい
神様を信頼していくならば、その日食べられなくなるときはない、という力づよいお言葉です。その日暮らしをしなさいとか、無計画にという意味ではありませんが、明日のことや、将来のことは神様の御手にゆだねる生き方を教えています。すべてを任せることができ何の心配もないなんて、すばらしいことではありませんか。

②祈りと働きの両立
祈っても何もしなければ、ある意味神様もどうしようもありません。祈ったことに対して、わたしたちの側でも働きかけなければなりません。でも不思議と、その働きは自分の力を超えていた、ということをしばしば経験します。神様は働いてくださっているからです。

③自分のことだけではなく
この祈りは「わたしに」という自分中心の祈りではなく「わたしたちに」というものでした。自分よりも恵まれない人たちを配慮し、ときには分け与えることです。実は、わたしたちはそうやって多くの人に支えられて生きてきましたし、その背後にあって神様の御手がわたしたちを支え続けてくださったのです。

学んでいるうちにとても豊かな気持ちになりました。自分は自分で生きているのではなく、生かされていると実感させられたからです。


2012年1月5日木曜日

今日は何の日















今日は聖イエス会の創立記念日。


66年前の1946年の今日、神様は御言葉をもってこの群れを起こされました。
「なんじその名をイエスと名づくべし。おのが民をその罪より救い給う故なり。」(マタイ1・21文語訳)


創立者夫人はそのときのことを次のように綴っています。


「聖イエス会! 廃墟と化した焦土の中から、小さな若芽が萌え出ました。それはユダヤのベツレヘムの馬小屋の中にて呱々の声をあげられたイエス様にも似ております。・・・
当時のユダヤは、ローマの支配下にあって苦しみ、あえぎ、民衆は救い主を待ち望んでいました。その時、人知れず最も低いところにお生まれになられたイエス様。命の水の一滴もない人生に、命の水のわきいずる源泉がお生まれになった。」


千葉シャローム教会も聖イエス会の一教会として、イエス様と同じ歩みをさせていただきたいとの熱い思いを抱いています。

2012年1月4日水曜日

主の名を呼んだ













創世記4章26節にエノシュという人物が登場してきますが、彼の名前は「人」という意味で、弱さ、もろさが強調されています。


これは人間とは、強そうに見えても、その実は弱くもろい存在であることを示していて、その弱さの自覚が主の御名を呼んで祈ることにつながっていったのでした。


「御名」とは神様の名前のことですが、これは単なる名前ではなく神様そのものを表している特別な言葉です。それは神様の実体、神様の本質を表しています。


そして、聖書は「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」と約束しています。


自分の本当の弱さやもろさ、また罪深さを自覚できる人は幸いだと思います。エノシュがそうであったように、神様の御名を呼び求め、救いを経験することができるからです。
もし、あなたが救い、助けを必要と思われますなら、主の御名を主の御名は呼んでみてください。


主の御名は「我は主なり(口語では「わたしは主である」)です。



「わたしは主である。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)

2012年1月3日火曜日

どこにいるのか

新しい年から、聖書通読を始める人は多いことでしょう。


デボーションガイドというツールを用いると、3年で旧約聖書1回、新約聖書2回通読できるようになっています。千葉シャローム教会では、3年で聖書通読にチャレンジしようと勧めています。


今日は創世記3章を読みました。


心の隙間を狙う悪魔(サタン)のことが記されています。


ある本で、自殺未遂をした人や、殺人事件を起こしてしまった人が、そのようなことをする気もなかったのに、背後から聞こえてくるささやくような声におもわず従ってしまったと証言している、ということが書かれていました。サタンや悪い霊の存在を思わせる言葉だと思います。


人の心の隙にサタンは入り込み、ついに人は罪を犯し、神様との親しい交わりを避けて、身を隠さなければなりませんでした。罪とは、あの罪、この罪ということだけではなく、神様に背を向けるという意味があります。その時の人間は自分の姿を恥ずべきものと認めなければなりませんでした。
これが人間の本質だ、本当の姿だと聖書は言っています。


けれども、そのように神様に背を向け、神様から離れて罪の道を歩み続けている人に対して、神様は「どこにいるのか」と尋ね求めてくださっているのです。


今日、あなたはどこにいますか?

2012年1月2日月曜日

闇のあるところに光を













新年あけましておめでとうございます。
今年も皆様の上に神様の祝福がありますように。


昨日は、初詣は教会で、ということで元旦礼拝が行われました。


今年一年間を導く、「純金で燭台を作りなさい」という標語の御言葉を学びました。


燭台とは、教会のことを意味し、またクリスチャン一人一人を指しています。
燭台に盛られた油に火を点火することで、暗闇に光を照らすことができます。


燭台が純金で作られること、それは、何の混じり気もない純粋な器、純粋な信仰を持つとき、クリスチャンは、光の源であるイエス・キリストとともに人々の心を照らすことができるのです。


千葉シャローム教会が、この地域を照らす心の灯台となることができるよう、お祈りしています。


今年もよろしくお願いいたします。