2012年1月6日金曜日
日ごとの糧を
午前中に月に一度行われているキリスト教入門講座が行われました。
今は、マタイによる福音書をテキストとして、とても有意義な学びの時をもっています。
今日は「主の祈り」というイエス・キリストが弟子たちに教えてくださった祈りの後半部分を学びました。
その一つは、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6・11)です。
新改訳という聖書では、「わたしたちの日ごとの糧をきょうもお与えください」となっていました。
どちらも同じ意味ですが、御言葉から教えられることを少しご紹介したいと思います。
①明日のことは思い煩わなくていい
神様を信頼していくならば、その日食べられなくなるときはない、という力づよいお言葉です。その日暮らしをしなさいとか、無計画にという意味ではありませんが、明日のことや、将来のことは神様の御手にゆだねる生き方を教えています。すべてを任せることができ何の心配もないなんて、すばらしいことではありませんか。
②祈りと働きの両立
祈っても何もしなければ、ある意味神様もどうしようもありません。祈ったことに対して、わたしたちの側でも働きかけなければなりません。でも不思議と、その働きは自分の力を超えていた、ということをしばしば経験します。神様は働いてくださっているからです。
③自分のことだけではなく
この祈りは「わたしに」という自分中心の祈りではなく「わたしたちに」というものでした。自分よりも恵まれない人たちを配慮し、ときには分け与えることです。実は、わたしたちはそうやって多くの人に支えられて生きてきましたし、その背後にあって神様の御手がわたしたちを支え続けてくださったのです。
学んでいるうちにとても豊かな気持ちになりました。自分は自分で生きているのではなく、生かされていると実感させられたからです。
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