2012年1月4日水曜日

主の名を呼んだ













創世記4章26節にエノシュという人物が登場してきますが、彼の名前は「人」という意味で、弱さ、もろさが強調されています。


これは人間とは、強そうに見えても、その実は弱くもろい存在であることを示していて、その弱さの自覚が主の御名を呼んで祈ることにつながっていったのでした。


「御名」とは神様の名前のことですが、これは単なる名前ではなく神様そのものを表している特別な言葉です。それは神様の実体、神様の本質を表しています。


そして、聖書は「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」と約束しています。


自分の本当の弱さやもろさ、また罪深さを自覚できる人は幸いだと思います。エノシュがそうであったように、神様の御名を呼び求め、救いを経験することができるからです。
もし、あなたが救い、助けを必要と思われますなら、主の御名を主の御名は呼んでみてください。


主の御名は「我は主なり(口語では「わたしは主である」)です。



「わたしは主である。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)

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