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2014年9月24日水曜日

あなたと共に

 









祈祷会では、秋の聖会で語られたメッセージ「雲の柱、火の柱」を学びました。
 
 
 
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」(出エジプト記13:21-22)
 
 
 
「この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」(コロサイ1:27)
 
 
 
わたしたちの人生は、昼進むようにすべてが喜ばしいことばかりではありません。夜を経験することもあるでしょう。けれども、主はそのようなわたしたちに先立って進んでくださるので、わたしたちは歩むことが出来ます。
 
 
 
また、新約時代の奥義は、主イエス・キリストを心に迎えた人は、神様を外側に見るだけではなく、自分の内におられるお方に導かれながら、生きることができることを教えています。
 
 
 
これこそ、栄光の希望です。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年9月18日木曜日

友人のため











祈祷会で学んだ聖書のみ言葉


「友人のために、命を与える以上の大きな愛はない。」(ヨハネ15:13 バルバロ訳)


イエス・キリストは、十字架上で命をお捨てになったのは、単なる犠牲の死ではなく、すべて信じる者に永遠の命を与えるためでした。自分の命を捨て、他者に自分の命を与える。これ以上の大きな愛はありません。イエス・キリストはただ語られるだけでなく、自ら実践されました。


イエスと出会い、イエスの愛と命に生かされたパウロも言いました。


「神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです」と。


イエスの愛の御思いが迫ってきました。


2014年9月10日水曜日

キリストがすべて

祈祷会で学んだみ言葉

「神によってキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(Ⅱコリント1:30)

「キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。」(コロサイ3:11b)


ホームページリニューアルと共に、ブログも再開します。

祈祷会の最後には日曜日に来られないご高齢の信徒の方のために、一足早く、敬老の日の祝福のお祈りおささげし、記念品をお渡ししました。

教会の礎となってくださっている皆さんに感謝します。

2013年12月19日木曜日

イエスと名づける

祈祷会のみ言葉


マタイによる福音書1章18節~25節


1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人        が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろ      うと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリア      を迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うから      である。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであ      った。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神      は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。


「その子をイエスと名づけなさい」「聖霊によって身ごもっていた」「聖霊によって宿った」


わたしたちの群れは「聖イエス会」と言いますが、その名前の所以は、21節のお言葉にあります。


そして、救い主イエスが聖霊によって誕生したように、この群れも聖霊(神様)によって生まれました。そして、その使命も、イエス様と同じです。これからもイエス様の仕事をしましょう。



2013年12月4日水曜日

神様は約束を守られる

祈祷会で学んだ言葉


「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22)


Q.クリスマスは何の日?

A.イエス・キリストの誕生


Q.イエス・キリストの誕生は、偶然?

A.必然


Q.なぜですか?

A.旧約聖書の中に、とりわけ預言者を通して約束しておられるから。
   人類が誕生して間もない時から、つまり創世記の中にも、救い主メシアの出現は予告されていました。



「神様は約束を守られる」ということを学びました。


聖書にはたくさんの約束が記されています。そして、それらは一つも地に落ちないで実現していきます。それを探すのもいいですね。そして、それを信じる幸いな人になりたいです。




「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ1:45)

2013年7月10日水曜日

水がめを置いて



















祈祷会で学んだ聖書の言葉


ヨハネによる福音書4章28節~30節

:28 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
:29 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、  この方がメシアかもしれません。」
:30 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。


自らの罪深い生活に後ろめたさを感じながら、人の目に触れないように生きていたサマリアの婦人が、イエス・キリストとの出会いを経験した後、まったく新しい人のようになって、もと来た町へと向かってイエス・キリストのことを伝えるために人々の所へ大胆に出ていきます。それも、水がめを置いて。


この女にとって、水がめは生活のために一番大切なものと思われます。
それを置いて出かけていった姿は、わたしたちに大切なことを教えます。


水がめは井戸から水を汲むために用いていたもので、それは生活には必要なものですが、彼女の心を満たすものでは当然ありませんでした。


でも、イエス・キリストと出会い、イエスの本性に触れたとき、彼女の心の中に湧き出る泉が与えられたのです。


イエスは言われました。
「わたし(イエス)が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」


イエス・キリストは、人の心をいつまでも満たし続けることができるお方です。






2013年6月12日水曜日

Like Jesus

今日の祈祷会で歌った讃美歌


1
わたしの願いは 主イェスのように
この世にある日を 生きてゆくこと
わたしのすべてを 主イェスにささげて
あゆんでゆきたい 主イェスのように

2
悩むひとびとに 主イェスのように
よろこびと平和 わけてあげたい
自分のためだけ 生きるのではなく
与えてゆきたい 主イェスのように

3
にくしみにかえて 主イェスのように
かぎりなくゆるす 愛を持ちたい
十字架のうえで 敵をゆるされた
祈りを知りたい 主イェスのように


「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」(Ⅰペトロ 2・21)


I want to be like Jesus.



2013年5月22日水曜日

実を結ぶ


祈祷会では、実を結ぶということを学びました。


実を結ぶ、ということは実りある人生を送るともいえると思います。


教会では、わたしたちの内面が神様の力によって清められ、聖なる者とされること、また、文字通り救いを経験してクリスチャンとして加えられていくことも、実を結ぶといいます。神様が願っておられる出来事が、教会を通じて実現することも実を結ぶといえると思います。


そして、イエス・キリストはご自分を「ぶどうの木」といいわたしたちを「ぶどうの枝」と言い、枝が木につながっている間は、実を豊かに結ぶことができると言われました。


枝が木から離れたら、枯れてしまいますね。


イエス・キリストは、豊かに実を結びたいのなら「わたしにつながっていなさい」と今日も招いておられるのです。



「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)



 

2013年5月15日水曜日

希望をもって喜び

祈祷会では、次の日曜日のペンテコステの聖会のために祈りをささげました。


「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマ12:11,12)


わたしたちの信仰の先輩である、大槻筆子先生は、かつて50数年の信仰生涯を振り返えると、いつもこの言葉が心の支えとなったと言っておられました。


いろんな困難に直面し、「ようやく一つの山を越えたと思いますと、また目前にさらに高い山がそびえているのです。その時こそこのお言葉が一番の支えになりました。

『どんな試練・困難にも気落ちせず、山の彼方に希望を持ち、祈り続けなさい。私はいつもあなたがたと共にいる』と主は励まして下さいました。

・・・信仰は決して失望に終わることはありません」と。


どんなときでも、希望をもって喜ぶことができる! これこそ信仰の世界の素晴らしさです。




2013年5月8日水曜日

もし信じるなら





「もし信じるなら、神の栄光が見られる。」(ヨハネ11:40)


神様を「信じる」とは、全部を神様に任せて、自分には何も期待しないことだと教えられました。


自分に期待し、自分の力を頼っている間は、わたしたちは本当の意味では神様を必要としていません。だから、神様も働こうとなさいません。


「神様あなたが必要です。」


そのように心から叫ぶとき、神様は喜んでご自分の業を行なってくださるのです。


預言者エリヤが天に上げられたとき、エリヤの後継者エリシャは、今までの自分を脱ぎ捨て、エリヤの内に宿っていた神を頼りとしました。


その時、目の前に立ちはだかっていたヨルダン川は真っ二つに割れて、エリシャは川の底を歩いて渡ることができました。


彼は神様を信じた。そして神様が神様として働かれる、まさに「神の栄光」を見たのでした。


2013年5月1日水曜日

しののめを呼びさます




今日の祈祷会の前半は、月に一度の聖書研究です。
聖書に記されている、イエス・キリストの再臨について学びました。


イスラエルの偉大な王ダビデは、詩編の中でこのように歌っています。


「神よ、わたしの心は定まりました。
 わたしの心は定まりました。
 わたしは歌い、かつほめたたえます。
 わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。
 わたしはしののめを呼びさまします。」(詩編57・7-8 口語訳)


彼は「しののめ呼びさまします」という言葉で「義の太陽」である「救い主(メシア)」を待ち望む祈りをささげました。これが神様の約束だったからです。


わたしたちもダビデの歌と思いを合わせ、教会に託された祈りを、ささげました。


「アーメン、メシアよ、来てください」と。


2013年3月20日水曜日

旧約と新約

毎年春に京都で聖会が行われ、全国から牧師・先生がたをはじめ、各地の信徒の方々が集まり、礼拝をささげます。


その最後に、それぞれが任地へと派遣されていきます。わたしも再び千葉シャローム教会に任命を受け、遣わされてきました。


今日は、遣わされて最初の祈祷会です。


さて、次の日曜日から、イエス・キリストが十字架にかかられた日を記念する受難週が始まります。


今日は、それに先立ち、旧約聖書にしるされている過越しの祭の意味を学びました。


430年にわたってエジプトで奴隷となっていたイスラエル人が、エジプトを脱出する前に行ったのが過ぎ越しでした。


1歳の小羊を殺し、その血を入り口の鴨居と柱に塗り、羊は火で焼いて残りなく食べる等が命じられています。
神様が命じられたこれらのことを信じて行ったとき、神による裁きは過ぎ越されたのでした。


そして、ついにイスラエル人はエジプトから脱出することができたのです。


実は、この旧約の出来事は、イエス・キリストを象徴していると考えられています。


殺された小羊とは、十字架の上で血を流し死なれたイエス・キリストを象徴しています。
人々が小羊の血によって、神の裁きから逃れ、奴隷となっていたエジプトから逃れたように、イエス・キリストの十字架は、罪の奴隷となっている人間を、罪の世から脱出させるためだったのです。これがイエス・キリストによる救いです。


旧約聖書と新約聖書は、一貫した関わりがあります。このような見方で聖書を読んでいくと、とても立体的になると思います。聖書はとっても奥深いです。






2013年2月27日水曜日

聖書の預言

毎月一回、水曜日の祈祷会の日を用いて、聖書研究会を開いています。


難しいことではなく、聖書を詳しく学ぶ時間です。


今年は、イエス・キリストの再臨について学んでいます。


聖書の中には、やがて起こる将来のこと語る預言が記されています。


これは預言という文字を使い、「~~~の大予言」とは意味が異なります。
預言者といわれる人達が神が語られたこと、見せられたことを書き記したもので、起こるのか、起こらないのかわからないあいまいなものではなく、必ず実現するものです。もう既に実現した出来事も含まれています。


そして、イエス・キリストが再びおいでになるということを記している箇所が、旧新約聖書をあわせると、1800回以上に上ると言われています。


それだけ、イエス・キリストの再臨というテーマは、とても大切なメッセージということではないでしょうか。


「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」(Ⅱペトロ1:19)



これからも、聖書の預言に注目していきたいと思います。




2013年2月20日水曜日

呼びさます





 




















「りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさました。」(雅歌8:5)


りんごの木とは、十字架の木を象徴しています。


わたしたち人間の心が、真実の愛に目覚めるのは、十字架のもとに立ち、十字架につけられたイエス・キリストを仰ぎ見るときです。


また、わたしたち人間の心には、「立派な人になりたい、聖人になりたい」という思いが、火種のように宿っています。その火種が燃え上がるのもまた、十字架の上に愛に死なれたイエス・キリストとであったときです。


十字架のキリストと出会い、十字架のキリストの愛は、
わたしたちは真の愛を教え、人間として生きる意味を教えてくれます。


愛がないと感じたとき、生きる意味を見失ってしまっているとき、十字架のもとにきませんか。
神の愛は、きっとわたしたちの心を呼び覚ましてくださるでしょう。

神は愛なり!




2013年2月6日水曜日

愛に生きる


祈祷会のみ言葉の一部をご紹介
 
 5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
 5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
 
                           (Ⅱコリント5・14~15)
 
 
十字架の上で死なれたキリストの愛が、わたしたちをキリストのように愛に生きるようにと駆り立てます。 神は愛なり!

2013年1月30日水曜日

わたしはすぐに来る

今月から、水曜日の祈祷会の一回を聖書研究会の日として、聖書の大切なメッセージ、「イエス・キリストの再臨」について学ぶことになりました。

今日は、その第一回目。

旧約聖書と新約聖書を合わせると、イエス・キリストが再びお出でになる再臨について、1800回以上記されていると言われています。

聖書の言葉は、たった一回書いてある約束でも、実現してきました。これからもそうです。

だとすれば、再臨は必ずあるということではないでしょうか。

これは、大切なテーマです。

今日は、再臨とは何か、どうして再臨がなければならないのか、などについて触れました。

 

「以上すべてを証しする方(イエス・キリスト)が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』」(黙示録22:20)

 

2012年12月12日水曜日

神を見た少女

今から75年前の今日、8歳の女の子がイエス・キリストに抱かれながら、天国に帰って行きました。

彼女は、障害をもち、病弱な女の子でした。ある時、母親に連れられて、教会に行ってからというもの、自分を愛してくださっているイエス様のことが大好きになり、夢中になりました。けれども、父親からは教会に行くことを厳しく反対され、あまり行くことができませんでした。

あることがきっかけで体調が悪化し、病床で苦しみの中にあった時、自分の苦しみをも十字架の上で負ってくださるイエス・キリストを信じました。それだけではなく、イエス・キリストが十字架の上ですべての人の罪を赦されたように、障害をもった自分をからかい、いじめた学校の友達たちを赦し、また、神様を知らないがゆえに、教会に行かせてくれなかった父親を赦してくれるように、祈るのでした。

その彼女の心に、主イエス・キリストはおいでくださったのです。彼女は自分の心においでくださった神様をその心の目で見たのです。それだけではありません、まるで月が太陽の光を反射して輝くように、彼女の存在から神様の輝きが映し出されていました。

そして、その神様の輝きを反映しながら、「平安」「平安」「平安」という言葉を残して、彼女は天国へと旅立っていったのです。

彼女の姿は、まるで東方の博士たちが星に導かれてイエス・キリストのもとにたどり着くことができたように、それを見ていた人たちを神との出会いへと導くのでした。

彼女の母親はその姿を見て、ご自身も同じように神様と出会い救いを受けられました。

その時から、娘のことを通して、神様と出会うこと、救われることがどれほど素晴らしいことかを、生涯をかけて出会うすべてに人に証しされたのでした。

 

「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」(マタイ5:8)


 

2012年11月28日水曜日

愛によって新たにし

祈祷会で学んだお言葉

旧約聖書のゼファニヤ書3:17

「お前の主なる神はお前のただ中におられ

勇士であって勝利を与えられる。

主はお前のゆえに喜び楽しみ

愛によってお前を新たにし

お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

 

神様は遠いみ空の彼方におられるのではなく、私たちの心を住まいとしてくださいます。

心の内で神様と交流するとき、神様は私たちの内から生きてくださいます。人を通して神様がこの地上を生きること。神様は望んでおられます。

では、私たちは神様の願いを満たし、神様を喜ばせているでしょうか?

自分の姿をみると、はいそうですとは、なかなか言えないかもしれません。

そんな私たちでも、神様は無条件で愛してくださっています。そして、その愛は私たちを造り変えて、愛で満たし、主イエス・キリストのように愛に生きる人にしてくださいます。

そうやって変えられた私たちを、神様は喜んでくださるのです。

何と恵み深い言葉でしょうか。本当に神様は愛です。

 

祈祷会の後は、クリスマスのオープン礼拝のチラシを配る準備をしました。次の日曜日に、ご近所にクリスマスの特別なオープン礼拝「クリスマス・ファミリー礼拝」のご案内をお届けします。

 

 

2012年10月24日水曜日

全力投球

 
「わがしもべやコブのために、
わたしの選んだイスラエルのために、
わたしはあなたの名を呼んだ。」(イザヤ書45:4口語訳)
 
祈祷会では、わたしたちの教会に与えられた使命について学びました。
聖イエス会は、1946年1月5日、創立者の大槻武ニ牧師に与えられた聖書のみ言葉によって生み出されました。それは、日本の人々の荒廃した心に愛と希望の種であるキリストの福音を伝える教会、イスラエルを通じて全世界が祝福を受けるという聖書のみ言葉の実現を祈る教会です。
 
大槻牧師の語られた言葉が心に迫ります。
「この偉大な使命を実現成就するために、全力投球を敢行なさねばならない」と。
特に「全力投球」という言葉に心が熱く燃やされ、力を与えられました。
一度限りの人生。わたしは神の言葉の実現のために、全力でチャレンジしたい。
 
 
 
 

2012年8月8日水曜日

朝顔オリンピック

 
信徒の方がくださった朝顔の苗を植えました。

緑のカーテンにすべく、ネットを張ってしばらくすると、ツルがどんどん伸びてこんな感じに。

だれも注目していませんが、まるでオリンピックさながらです。第四コースの弦が、見事に優勝しました。

わたしは水をやっていただけですし、朝顔が特別な努力をしたわけではありません。やっぱり神様が成長させてくださったのです。

聖書にこんなお言葉があります。(「わたし」とは使徒パウロのことです。)

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(Ⅰコリント3:6ー7)

わたしたちの魂を救い、成長させてくださるのも神様なのです。

 

今日の祈祷会では、台湾、アメリカの信徒の方々、そして柏にある教会でご奉仕をしておられる牧師ご夫妻をお迎えして熱い祈りの時を持つことができ、本当に感謝でした。一同神様の御名に対する生きた信仰を持つことができるよう、求めつつ、主の御名を呼び求めました。

「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。」(詩編20:8)