2013年4月14日日曜日

渇きを覚えている者は





今日は、千葉シャローム教会献堂3周年を記念した春の特別聖会でした。
東京のソフィア教会の牧師がおいでくださり、メッセージを語って下さいました。


午前に続いて行われた午後の聖会では、ヨハネによる福音書5章1節~9節のベトザタの池で行われた38年病気で苦しんでいた男の癒しの箇所が語られました。


「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(6節)


彼は、良くなりたいからこそ、奇跡の池、ベトザタの池のほとりに居続けたわけですが、自分自身に奇跡が起こることを経験することなく、歳月が流れていく間にマンネリ化となり、彼の良くなりたいという本当の願いは次第に薄れてしまったのです。


そんな彼に、イエス様は問いかけられました。「良くなりたいのか。」・・・本当に直りたいのか?


この問いに、目が覚まされ、一同心からイエス様に渇きを覚えて、イエス様を必要として御名を呼びました。そこに素晴らしい神の恵みが注がれてきました。


この集会で、4年生の男の子の心にイエス様はおいでくださり、救いを与えて下さいました。
自分でもイエス様が来てくださった、聖霊を受けたことが分かったとその場で話してくれました。


イエス・キリストは本当に生きておられます。呼べば応えてくださいます。


「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」(イザヤ55:1)
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くいますうちに。」(同55:6)


0 件のコメント:

コメントを投稿