昨日はオープン礼拝でした。
イエス・キリストの復活を祝う礼拝をおささげしました。
心配していた雨も上がり、強風の中、皆さんよく来てくださいました。
土曜日に近畿に出かけておられた信徒の方は、新幹線、電車が止まってしまい、何時間も足止めされながら、千葉の自宅に帰ってきたのは夜中の1時だったとのこと。
疲れていたでしょうに、礼拝に来て、聖歌隊で賛美もささげて下さいました。
神様が癒しとなり、力となってくださいますように。
礼拝で語られたみ言葉の一部をご紹介します。
ヨハネによる福音書20章24節~29節
:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に 釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
信じることができない人は、ある意味、分からないから、納得できないからなのかも知れません。納得できさえすれば、信じる人になることができるのかも知れません。
トマスという弟子も、ある意味そういう人だったと思います。
復活されたイエス・キリストはそのトマスにも出会ってくださいました。
主と出会ったとき、トマスは信じる者になっていました。
主との熱い出会いがいつもありますように。
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