2012年3月26日月曜日
このことを信じるか
礼拝のメッセージを深めてみましょう。
死んだラザロのもとにイエスがおいでになられました。
それを迎えたラザロの姉妹マルタはこう言いました。
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願になることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」(ヨハネ11・21-22)
マルタはイエスと神とを別に考えています。
イエスはご自分に対して、「わたしを見た者は、父(神)を見たのだ」「わたしと父(神)とは一つである」と言われます。イエスはご自分は神であると言っておられるのです。
また、マルタは「わたしは今でも承知しています」と言いました。
そこには、生きた信仰ではなく、冷たい頭だけの理解、知的認識だけしかありません。
そこで、イエスは言われました。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(11・25,26)
ここで繰り返し語られるのは、「信じる者」「信じる者」「信じるか」です。
キリスト教を理解してもそれは十分ではない。聖書をよく読み理解してもそれで十分なのではない。必要なのは、信じることであり、生ける信仰です。これこそがイエスの神としての御力を引き出す秘訣だということを教えています。
明日は、東京世田谷区にあるソフィア教会で、東京、神奈川、千葉の子供たちのための合同の集会があります。子供たちの上に、神様の豊かな祝福がありますよう、「信じて」祈ります。
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