2012年3月14日水曜日

世々限りなく生きて

祈祷会では、年会聖会(春の聖会)のメッセージ「純金の燭台を生きる」を見ました。

ヨハネの黙示録1:12-13、17-20

わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。

わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。」

純金の燭台の起源は、紀元前1300年頃のモーセの時代にさかのぼります。
神殿のひな型であった幕屋を照らす燭台として神様がモーセに命じて造らせたものです。

そして、これはイスラエルのシンボルとなりました。イスラエルは全世界に神様の愛の光を輝かせるために選ばれた民族だと聖書は言っています。

けれども、紀元70年のローマ皇帝テイトスのエルサレム攻撃によって、第二神殿は破壊され、神殿の内部を照らしていた純金の燭台は持ち去られてしまいました。もう燭台の火は消えてしまったのでしょうか?そうではありませんでした。

ちょうど同じころ、使徒ヨハネは、光り輝く純金の燭台を見せられたのです。その燭台とは、教会を指していると、キリストは語られました。

燭台の火がともされて3300年。純金の燭台である教会の中に、この火は燃え続けていたのです。
そして、ついにもう一度、純金の燭台のシンボルであったイスラエルに受け継がれると聖書は言っています。今は、その時なのです。

聖書の言葉は、単なる物語ではなく、今わたしたちが生きている現代にも生き続けているのです。聖書の主人公、イエス・キリストは今も生きて、働きかけてくださっているからです。

「わたしは・・・生きている者である。一度は(十字架で)死んだが、見よ、世々限りなく生きて」いる。





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