「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12:24)
今日の祈祷会では、聖霊を受け、聖霊に満たされた一人の信徒ステファノが殉教した箇所にも触れました。
イエスを信じようとしない人達の迫害を受け、石を投げつけられ、ついに殺されてしまいました。
これは悲しむべき出来事ではありましたが、彼がキリストのゆえに、一粒の麦となって殉教したそのとき、彼の姿からは真実の愛があふれ出たのです。
そして、その姿に心打たれ、自らの誤りを悟った一人の青年がいました。あの迫害者サウロです。彼は、それからまもなく復活されたイエス・キリストとの出会いを通して偉大な使徒へと変貌していきます。使徒パウロの誕生です。
ステファノの死を通じて、偉大な使徒パウロが誕生し、み言葉のように多くの実を結びました。
生きるか死ぬかという問題よりも、大切なことはその人の中にあるものが真実の愛かどうかということが問われているのだと思います。わたしたちは自分の内側から何をあらわしているでしょうか。
「ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。」(使徒6:15)
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