2012年5月18日金曜日
栄光の希望
今日は、おゆみ野の家庭集会に行ってきました。
「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」(コロサイ1:27b)とのみ言葉から、イエスが神殿を清められた出来事を学びました。
このコロサイのみ言葉を語ったのは、パウロです。
彼はまた、わたしたちの心こそは神殿だと語っています。
神殿とは、神様が現存してくださっている場所のことで、もし神殿に神様がおられなければ、そこはもはや神殿としての働きをすることはできません。
パウロ自身も、最初は神様と言えば、遠いみ空のかなたに仰いでいました。そのため、彼と言う神殿は本来の働きをすることができなかったのだと思います。
けれども、彼が十字架の死より復活された生けるキリストと出会い、キリストが御名によって彼の心に現存してくださったとき、彼は新しくされ、彼を通して神と出会う人々が次々と起こるようになったのです。彼は生ける真の神殿とされたのでした。
彼は自分自身の体験を力強く証しするのです。わたしの内におられるキリストこそは、栄光の希望だと。
わたしたちにも、この栄光の希望を与えるために、パウロの心の内においでになられた主イエスは、今もわたしたちの心の神殿にお入りくださいます。 我は主なり!
家庭集会の後は、山武市にお住まいの老先生宅を訪問しました。1年半ほど前にご病気をされて以来ご自宅で静養しておられるため、時々お尋ねします。
わたしたちの群れにおいては、初期の先生で、お体は本調子ではないものの、お会いするたびごとに信仰の息吹を吹き込んでいただき、燃やされます。これこそ、生ける真の神殿ですね。
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