2012年2月17日金曜日

からし種一粒ほどの信仰


教会では、デボーションガイドという聖書を読み進めるためのツールを用いていますが、今日の御言葉の中の1節をご紹介します。


イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ17・20)


からし種とは、上の写真にもあるように一粒は1mmにも満たないもので、とても小さく、聖書の中で最も小さなもののたとえとして登場してきます。クリスチャンは神様を信じていますが、一生懸命信じているようでも、十分ではないとイエス様は言われたのだと思います。からし種は小粒でもピリリと辛い。イエス様が言われた信仰とは、神から与えられる生きた信仰ということができるでしょうか。


かつてこんなことがありました。義理の妹が、つわりがひどくて、長い間苦しみ続けていました。義母から祈ってくださいとお願いされ、電話口で、祭壇の前で、何度も祈りましたが、いっこうに良くなりません。

しばらくたったとき、苦しむ娘を見るに見かねてたまらなくなった義母がまた電話をしてきました。義母もクリスチャン。わたしは牧師。どちらも信仰者ですし、神様に癒された経験も持っています。でも何度祈っても癒されない。その時、わたしも義母も改めて教えられました。神様からいただかなければ、過去がどんなに素晴らしかったとしても、今、生きた信仰を与えられなければ、わたしの信仰もゼロのようなものだ。「主よ、からし種一粒ほどの信仰さえ持っていないわたしたちを憐れんでください」と涙ながらに祈りました。

その祈りは、もう自分の祈り、自分の信仰ではなく、イエス様が与えてくださった信仰に切り替わっていました。

その時、義妹のつわりの苦しみは、無くなったのです。

電話を置いたそのあと、義妹は言いました。「気持ち悪いのがなくなった。」

イエス様が、一瞬にして癒してくださったのです。

イエス・キリストは生きておられる! 主の御名を賛美しました。



今日は、おゆみ野の信徒宅で、家庭集会がおこなわれました。
この生きた信仰が、この家庭の中で、またおゆみ野の地域で満たされますように!




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