ある青年がリアカーを引いて道を歩いていると、重たい荷物を背負った老婦人がよろめきながら歩いているのを見かけました。
気の毒なので、青年は声をかけ、リアカーに乗るように勧めます。老婦人は申し訳なさそうにリアカーに乗り込みました。
青年は老婦人を乗せながら、リアカーを引いています。しばらくすると、後ろに乗っている婦人が苦しそうな息をしているのに気づきました。足を止め後ろを振り返ると、何と彼女は荷物を背負ったまま乗っているではありませんか。
わたしたちもしばしば同じことをしています。
イエス・キリストはわたしたちのすべての重荷、悲しみ、痛みを担ってくださっていると分かっていながら、なおも自分の負っている荷物を下ろそうとしないのです。
リアカーに乗って、荷物を下ろすだけで良かったのに、なお負い続けて苦しんでいる。
今日も、イエスの言葉が響いてきます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28)
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