2013年6月30日日曜日

心の渇きをいやす



今日の礼拝では心の渇きをテーマにメッセージが語られました。


心の渇きって何でしょう?


詩編42編は心の渇きに対する叫びです。


「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか。」(詩編42編2,3節)


心の渇きは、神に対する渇きです。


イエス・キリストは心の渇きをいやすことがおできになるお方です。


イエスは言いました。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:13,14)








2013年6月24日月曜日

酔生夢死

「酔生夢死」という言葉があります。


「自分がこの世に生まれてきたということを、記録するに足ることを、何もしないで、一生を終わる」という意味です。


自分はどうだろうかと考えさせられます。


はたして、この世に生を受けながら、生まれてきたということを、記録するに足ることを何もしないで、夢のように消えていく人生だとしたら、そこに意味があるのだろうか?


「人に賞賛されること」や「大きなことやること」だけを言っているのではないと思います。


目の前にいる一人の人を、心込めて大切にする、愛する。これも愛された人の心に残る大きな記録を残したのだと思います。


しかし、自分の力には限界があります。神様の力、神様の愛が必要です。


聖書には、危機に直面し、八方ふさがりで、前にも後ろにも進むことができないよう人が、神の言葉を信じて、一歩踏み出したとき、神の力を引き出し、神と共に偉大なことをし、消えることのない記録を残した人達の証しが数多く記されています。


同じ神様が生きておられて、共に働いてくださるなら、同じことがわたし達にも起こるのではないでしょうか?この世に生まれてきたという記録に足ることをすることができるのではないでしょうか?


「もし信じるなら、神の栄光を見る。」(ヨハネ11・40口語訳)





2013年6月18日火曜日

失われたものを捜して

最近更新が滞ってすみません


日曜日のオープン礼拝の内容をシェアしておきたいと思います。


ルカ福音書19章1節~10節の、徴税人ザアカイの回心の物語を学びました。


19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」



結びの言葉は、「人の子(キリストのこと)は、失われたものを捜して救うために来たのである」となっています。


「失われたもの」とは、「間違った位置にいること」を意味しています。


あるものが、本来あるべきところから逸れて、誤った場所におかれているとき、それは失われているということです。


そういうものを見つけたときには、定位置にもどしてあげればよいのですね。


今回の登場人物ザアカイは、本来のあるべきところから逸れた、失われたその一人でした。



その彼も、イエス・キリストとの出会いを通して、本来あるべきところに帰っていったのです。イエスは彼を捜し出し、イエスと共にいること。神と共にいるという定位置にもどされたのでした。そこで、宣言されました。「今日救いがこの家を訪れた」と。なんと素晴らしいイエスとの出会いでしょうか!


では、あなた自身は今、どこにおられますか?



「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。」(ヤコブ3・8)


2013年6月14日金曜日

神殿の中におられるイエス

今日は、おゆみ野で家庭集会がありました。


ルカ福音書をシリーズで学んでいます。


今日は2章41節~52節から学びました。


少年イエス(12歳)のことが記されている箇所は、他に見当たりません。
とても貴重な記録だと思います。


旅の途中で見失ってしまった両親はイエスを探してエルサレムに戻りますが、エルサレムでは、イエスは神殿の中で、学者達と話し合っていたのでした。


「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と母にしかられたとき、


イエスは答えられました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」


このとき、イエスは自分と神との特別な関係をはっきりと宣言されたのです。


神と自分とは父と子の関係にあること。神の子とは、神が人間となってこの地上においでになったということです。イエスと神とは一体です。このことをはっきりとお語りになったのでした。


イエスを神殿の中で彼らは見出しました。


それは、イエスというお方は、わたしたちの心という神殿にお住まいになるお方であることを示しています。


イエス・キリストは心の中にお迎えすることのできるお方なのです!







2013年6月12日水曜日

Like Jesus

今日の祈祷会で歌った讃美歌



わたしの願いは 主イェスのように
この世にある日を 生きてゆくこと
わたしのすべてを 主イェスにささげて
あゆんでゆきたい 主イェスのように


悩むひとびとに 主イェスのように
よろこびと平和 わけてあげたい
自分のためだけ 生きるのではなく
与えてゆきたい 主イェスのように


にくしみにかえて 主イェスのように
かぎりなくゆるす 愛を持ちたい
十字架のうえで 敵をゆるされた
祈りを知りたい 主イェスのように


「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」(Ⅰペトロ 2・21)


I want to be like Jesus.



2013年6月7日金曜日

神は来て

木曜日の面談の日、今日は(というか大抵は・・・)予約もありませんので、午後は信徒の方を訪問しました。


船橋の方で、先週、家で転んで骨折してしまいました。


怪我の後ですから、玄関先で、お顔を見て、一緒にお祈りをして、帰ろうと思ったのですが、ご自分のお部屋に通して下さり、わたし(牧師)と家内と3人で、しばしお話しをする時間を持つことができました。


普段ゆっくり話すことができない分、いろいろな話し、今まで経験してこられたことを聞くこともでき、とても貴重な時間となりました。


最後にお怪我が速やかに癒されて、また、一緒に教会で礼拝をささげることができるよう、主の御名によって祈らせていただきました。以前、祈っていて、骨折した方が癒されたことがあります。イエス様の力を信じて祈りました。


教会に戻ってから、お礼の電話をしますと、わたしたちが帰ってから、しばらくして、ふとしたことから、今まで上がらなかった腕が上がるようになったことに気がついたというのです。


「こんなわたしの家にも神様が来てくださった」と、いうことを感じて、涙が止まらなかったと、話しておられました。


では、「すっかり良くなって教会においでくださいね」と、いいますと、「間もなく行きます」!との元気な声が返ってきました。主に感謝します。



「『神は来て、あなたたちを救われる。』
 そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。
 そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。」(イザヤ35・4-6)





2013年6月2日日曜日

選び

”あなたがわたしを 選んだのでなく
 わたしがあなたを あなたをえらんだ”  讃美歌から


礼拝では、神様の救い、神様の選び(憐れみ)がどれだけ貴いことなのか、学ばせていただきました。


「あなたがたは・・・肉によれば異邦人であり、・・・キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました」(エフェソ11,12)とまで言われた、わたしたち。


ちなみに異邦人とは、イスラエル人以外の人のことを言います。


もともとは、本当の神様を知らず、救いを知らなかった者でしたが、ついに神様の救いはわたしたち異邦人にも向けられていきました。


「神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された」(使徒15:14 口語訳)と。


礼拝後は、教会のメンバーの皆さんと、6月16日のオープン礼拝のチラシを配りに行きました。
今週、来週とご近所の皆さんのもとへ、お届け中です。


チラシをご覧になった皆さん! ぜひ足を運んで下さい。喜んでお迎えします!