2012年10月28日日曜日

本当にこの人は神の子だった

神奈川県平塚市にある神言教会の先生を迎えての聖会でした。

「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、 『本当に、この人は神の子だった』と言った。」(マルコによる福音書15:39)

ご自身の子ども時代のいじめを受けた経験を赤裸々に語ってくださいました。

「外ではいじめを受けて苦しんでいながらも、家では兄弟の一番上として暴君のように振舞っている。ある集会に出席している時に苦しんでいる自分よりも、自分の中にもある醜い罪のあることに気がついたのです。

自分の胸に手を当てて『我は主なり』と主の御名を呼び祈ったその時、涙が溢れ出し、御名が生き生きとわたしの内から流れ出たのです。

その後、十字架のキリストに目がとまりました。その途端、自分の心の内の何かが割れて、今まで感じたことのない、熱いものがその裂け目からあふれるのを感じました。

その時、百人隊長のように叫んだのです。『本当に、この人は神の子だった』イエス様は神様です。イエス様は救い主様です。

愛なる神様が、わたしの心にきてくださり、わたしは変わりました。・・・神様が共にいてくださるという強い感覚があり、孤独に対する恐れがなくなりました。仲間外れにして喜んでいたいじめっ子たちは、何をしても平気でいるわたしにいつの間にか関わらなくなっていきました・・・」

十字架のキリストに出会った先生のお姿から、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリストが現され、一堂神様の愛の懐に飛び込んでいきました。 神は愛なり!

 

午後は、ハッピーサンデーが行われました。

みんなで蒸しケーキ作りをしました。とっても美味しくできました!

 

 

2012年10月27日土曜日

堤防は今も

 

衛川ホールの家庭礼拝では「津波だ!稲むらの火を消すな」(内閣府・防災担当監修)の紙芝居を見ました。

安政の南海地震で津波の被害を受けた和歌山県の広村であった実際の出来事です。

大地震の直後、自らの田んぼに干していた貴重な稲むら(藁を積み上げたもの)に火をつけ、村人たちを高台へと導いた濱口儀兵衛の功績を伝えています。

彼は、被災した村人たちのために私財をつぎ込んで、数々の困難を乗り越えて堤防を築き上げました。その堤防のおかげで、92年後の昭和の南海大地震の時に起こった津波から村は守られたのでした。明治の文豪、小泉八雲は彼の功績を讃え、彼を「生ける神」の一人として取り上げています。

イエス・キリストは、今から約2000年前に、十字架によって人類の救いの道を開き、完成してくださいました。

ある人は、それは過去のことであって、現代の私と何の関係があるか、と言います。

けれども、あの濱口儀兵衛の築いた堤防が、その後に起こった津波から人々を救うことができたように、イエス・キリストの築かれた救いは、現代の私たちにも有効です。

あなたは、このことを信じますか?

 

 

2012年10月24日水曜日

全力投球

 
「わがしもべやコブのために、
わたしの選んだイスラエルのために、
わたしはあなたの名を呼んだ。」(イザヤ書45:4口語訳)
 
祈祷会では、わたしたちの教会に与えられた使命について学びました。
聖イエス会は、1946年1月5日、創立者の大槻武ニ牧師に与えられた聖書のみ言葉によって生み出されました。それは、日本の人々の荒廃した心に愛と希望の種であるキリストの福音を伝える教会、イスラエルを通じて全世界が祝福を受けるという聖書のみ言葉の実現を祈る教会です。
 
大槻牧師の語られた言葉が心に迫ります。
「この偉大な使命を実現成就するために、全力投球を敢行なさねばならない」と。
特に「全力投球」という言葉に心が熱く燃やされ、力を与えられました。
一度限りの人生。わたしは神の言葉の実現のために、全力でチャレンジしたい。
 
 
 
 

2012年10月22日月曜日

土の中にある石ころ

今日は、隣の畑をしておられる方に、手伝っていただき、耕運機で庭を耕しました。

畑にするわけではないのですが、あまりにも雑草の勢いが強いため、根を掘り起こすことにしました。準備が整えば、芝を植えたいなと思っています。

それにしても、耕してみると、大小の石ころが出るわ出るわ!

人間の心は、畑に例えられます。良い地に蒔かれた種は、多くの実を結びますが、土の中に石ころがたくさんあると豊かに実を結ぶことができないのです。

心の中は見えないけれど、自分勝手とか、石ころがたくさんありそうです。み言葉の力によって、耕され、石ころを見つけたら一つ一つ取り除いてほしいです。豊かに実を結ぶために。

 

 

2012年10月21日日曜日

山をも動かす祈り

礼拝で語られたみ言葉の一節をシェアします。

マルコによる福音書11:22-24

:22 そこで、イエスは言われた。⌈神を信じなさい。

:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。


「神を信じなさい」という言葉の原典ギリシャ語を直訳すると、「神の信仰を持ちなさい」となります。神様の側に立った信仰です。その信仰が与えられた時、驚くべきことが起こると、教えられます。

たとえ目の前に大きな山のように立ちはだかる問題があったとしても、神様の側に立ったその時、それは問題ではなくなってしまう。そんな素晴らしい信仰の世界をもっと経験していきたいです。

 

礼拝のあとは、秋の教会大掃除を行いました。まだまだ新しい教会ですが、だいぶん汚れてきますね。お手伝いくださった皆さんのおかげでとってもきれいになりました。

掃除のあとは、おにぎりと豚汁をいただき、しばし交わりのひと時も持つことができ、楽しかったです。

 

 

 

2012年10月14日日曜日

神の愛

今日は柏市にあるゼカリヤ教会で聖会の講師としてメッセージを語らせていただきました。ゼカリヤ教会は、千葉シャローム教会の親教会でもありましたし、また、個人的にいえば大学生時代に通っていた第二の母教会でもあります。懐かしい方々と共に、み言葉に学び、主の名を呼んで礼拝できたことは感謝なことでした。
永遠の命に生きるというテーマで語らせていただきましたが、人々の心に命を注ぎたいと願われる、イエス・キリストのみ思いが迫ってきて感動しました。

 

 

 

 

 

 

千葉シャローム教会の礼拝では、十字架のメッセージが語られ、神の愛が力強く語られました。

「十字架の言葉は、・・・わたしたち救われる者には神の力です。」(コリントの信徒への手紙 一 1:18)

「イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」(ヨハネによる福音書19:30)




 

2012年10月10日水曜日

幸せなら態度で示そうよ

「幸せなら手をたたこう」の歌詞は、わたしたちが再び武器をとって戦わないことを誓い、「平和」な世界を作り出そうという聖書のメッセージが入っているそうです。

第二次大戦で日本軍によってフィリピンの多くの方々が犠牲になりました。

戦後、フィリピンの人々は、戦争の苦しみや悲しみを思うと、日本人が目の前に現れたら、殺してやりたいとまで思いつめていました。

しかし、クリスチャンであった彼らは、キリストの愛を知りキリストが十字架の上で自分たちの罪を赦すために死んでくださったように、自分たちも日本と日本人への憎しみを乗り越えて、キリストの愛によって平和な世界を作ろうと決意したのでした。

今から50年以上前の話ですが、赦すには大きな痛み、大きな犠牲を伴います。けれどもイエス・キリストの十字架はそれを可能としたのでした。

キリストが彼らの心の中で平和となり、彼らはその態度によって、赦しを実行したのです。

作詞者がフィリピンに赴き、フィリピンのクリスチャンと共に働き、聖書を読み、祈って行く中で、彼らは語ってくれたのです。「わたしたちはキリストのにあって、ともだちなのだ」と。

 

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソ2:14)

「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」(コロサイ1:21ー22)