除夜の鐘が聞こえてきました。
今年もあとわずかです。
一年間を導き、支えてくださった神様に心から感謝します。
また、途切れ途切れにしか投稿できなかったブログをご覧くださった皆さんにも感謝します。
皆さん、良い新年をお迎えください。神様の祝福がありますように。God bless you!
明日は、午前10:30から、新年最初の元旦礼拝です。ぜひおいでください。
2012年12月31日月曜日
2012年12月29日土曜日
アンネのバラのこと
40年前に、わたしたちのグループの聖歌隊がイスラエルの演奏旅行に行った先で、アンネの父、オットー・フランク氏に出会いました。平和を願うわたしたちの働きに共感して下さった氏は、アンネの形見としてつくられた新しい品種のバラを送って下さったのでした。
この平和を告げるバラを共鳴してくださる方々、教会、学校に送り届けるため、バラの株を増やすことになり、わたしの祖父がその依頼を受けました。今は、叔父がそれを受け継いでいます。
叔父の住む京都府綾部市のホームページでそのことが紹介されていました。
私事にもなり、恐縮ですが、ご紹介します。
綾部市ホームページ掲載 親子2代でアンネのバラを育成
アンネのバラは、千葉シャローム教会の花壇にも植わっていて、来年の5,6月ごろは美しい花を咲かせます。小さくあっても今も語り続けている、アンネの平和への願いの声を聞いていただければと思います。
2012年12月22日土曜日
この方を受け入れた人
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方を方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:9~12 新改訳)
今日は、今年最後の家庭礼拝が、旧教会の栄光クリニック2Fで行われました。初めて参加される方もあり、20名以上の方々がクリスマスの喜びを分かち合いました。
沢山クリスマスの讃美歌を歌い、美しいピアノと賛美の歌声に耳を傾けました。でも、その中心で愛され、崇められ、その誕生を祝われていたのは、イエス様です。
イエス様、今日の集いを喜んでくださいましたか?
イエス様が、今日お集いになられたすべての方々から愛されますように。 神は愛なり!
今日は、今年最後の家庭礼拝が、旧教会の栄光クリニック2Fで行われました。初めて参加される方もあり、20名以上の方々がクリスマスの喜びを分かち合いました。
沢山クリスマスの讃美歌を歌い、美しいピアノと賛美の歌声に耳を傾けました。でも、その中心で愛され、崇められ、その誕生を祝われていたのは、イエス様です。
イエス様、今日の集いを喜んでくださいましたか?
イエス様が、今日お集いになられたすべての方々から愛されますように。 神は愛なり!
2012年12月18日火曜日
クリスマス・ファミリー礼拝
日曜日は、子どもから大人まで、家族そろって集い、教会でのクリスマスを味わうことのできる、ファミリー礼拝を行いました。教会は初めてという方も沢山きてくださいました。写真は、練習の時のものです。当日の写真は、教会のFacebookなどでUPしたいと思います。
プログラムは
🎶ミュージックベルの演奏
ハッピーサンデーにきているお友達を中心に、クリスマスの讃美歌を演奏しました。これまで、何度も何度も練習して、難しいパートもできるようになりました。とても良かったですよ!
🎶ペープサートの上演
これも子どもたちが「不思議な鐘」という感動的なクリスマスの物語を絵を動かしながら演じました。
🎶ピアノトリオの演奏
特別ゲストとして船橋を中心に音楽活動をしておられるグループ、Brioトリオのメンバーにおいでいただき、バイオリン、チェロ、ピアノの三重奏を生で聴いていただきました。みなさんとても喜んでくださいました。Brioトリオの皆さん、ありがとうございました。
🎶クリスマスの劇とクリスマスのお話し
教会の聖歌隊のメンバーと、子どもたち数名でクリスマスの聖誕劇を行いました。クリスマスの喜びが、そして、神様の愛が、伝わったのではないかと思います。とても、感動的でした。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書2:10-12)
クリスマス・ファミリー礼拝
日曜日は、子どもから大人まで、家族そろって集い、教会でのクリスマスを味わうことのできる、ファミリー礼拝を行いました。教会は初めてという方も沢山きてくださいました。写真は、練習の時のものです。当日の写真は、教会のFacebookなどでUPしたいと思います。
プログラムは
🎶ミュージックベルの演奏
ハッピーサンデーにきているお友達を中心に、クリスマスの讃美歌を演奏しました。これまで、何度も何度も練習して、難しいパートもできるようになりました。とても良かったですよ!
🎶ペープサートの上演
これも子どもたちが「不思議な鐘」という感動的なクリスマスの物語を絵を動かしながら演じました。
🎶ピアノトリオの演奏
特別ゲストとして船橋を中心に音楽活動をしておられるグループ、Brioトリオのメンバーにおいでいただき、バイオリン、チェロ、ピアノの三重奏を生で聴いていただきました。みなさんとても喜んでくださいました。Brioトリオの皆さん、ありがとうございました。
🎶クリスマスの劇とクリスマスのお話し
教会の聖歌隊のメンバーと、子どもたち数名でクリスマスの聖誕劇を行いました。クリスマスの喜びが、そして、神様の愛が、伝わったのではないかと思います。とても、感動的でした。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書2:10-12)
2012年12月14日金曜日
救いを見た
午前は緑区おゆみ野の信徒宅で家庭集会がありました。
ルカによる福音書2章22節~ 老シメオンとイエスとの出会いの箇所を学びました。
神殿において、救い主としてお生まれになったイエスと出会った場面です。イエスは母マリアに抱かれている幼子でしたが、シメオンの心の目は、この幼子イエスの内にメシアを見、神を見たのです。
その時彼は言いました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)
彼にそこまで言わせた、神様の救いとは、何と素晴らしいことでしょうか。
ルカによる福音書2章22節~ 老シメオンとイエスとの出会いの箇所を学びました。
神殿において、救い主としてお生まれになったイエスと出会った場面です。イエスは母マリアに抱かれている幼子でしたが、シメオンの心の目は、この幼子イエスの内にメシアを見、神を見たのです。
その時彼は言いました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)
彼にそこまで言わせた、神様の救いとは、何と素晴らしいことでしょうか。
2012年12月13日木曜日
クリスマスファミリー礼拝
16日(日)のオープン礼拝、クリスマスファミリー礼拝が迫ってきました。
今日は、最後の案内用のチラシを配り終わりました。ブログに掲載しているのはポスターです。
聖書はクリスマスの知らせを「すべての民に与えられた、大きな喜び」と言っています。このチラシが届けられた方々に大きな喜びがありますように。
皆様のおいでを心からお待ちしています。
2012年12月12日水曜日
親子で参加!
午後には、小学校の前でクリスマス・ファミリー礼拝の案内を配らせてもらいました。
12月16日(日)10:30-12:00 何も持たずにおいでください。
お父さんやお母さんの許可をもらってから来るように伝えています。
子どもたちをぜひ送り出していただければ嬉しいですし、ご家族でおいでくださったら、なお嬉しいです。
お楽しみも、ありです。
神を見た少女
今から75年前の今日、8歳の女の子がイエス・キリストに抱かれながら、天国に帰って行きました。
彼女は、障害をもち、病弱な女の子でした。ある時、母親に連れられて、教会に行ってからというもの、自分を愛してくださっているイエス様のことが大好きになり、夢中になりました。けれども、父親からは教会に行くことを厳しく反対され、あまり行くことができませんでした。
あることがきっかけで体調が悪化し、病床で苦しみの中にあった時、自分の苦しみをも十字架の上で負ってくださるイエス・キリストを信じました。それだけではなく、イエス・キリストが十字架の上ですべての人の罪を赦されたように、障害をもった自分をからかい、いじめた学校の友達たちを赦し、また、神様を知らないがゆえに、教会に行かせてくれなかった父親を赦してくれるように、祈るのでした。
その彼女の心に、主イエス・キリストはおいでくださったのです。彼女は自分の心においでくださった神様をその心の目で見たのです。それだけではありません、まるで月が太陽の光を反射して輝くように、彼女の存在から神様の輝きが映し出されていました。
そして、その神様の輝きを反映しながら、「平安」「平安」「平安」という言葉を残して、彼女は天国へと旅立っていったのです。
彼女の姿は、まるで東方の博士たちが星に導かれてイエス・キリストのもとにたどり着くことができたように、それを見ていた人たちを神との出会いへと導くのでした。
彼女の母親はその姿を見て、ご自身も同じように神様と出会い救いを受けられました。
その時から、娘のことを通して、神様と出会うこと、救われることがどれほど素晴らしいことかを、生涯をかけて出会うすべてに人に証しされたのでした。
「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」(マタイ5:8)
彼女は、障害をもち、病弱な女の子でした。ある時、母親に連れられて、教会に行ってからというもの、自分を愛してくださっているイエス様のことが大好きになり、夢中になりました。けれども、父親からは教会に行くことを厳しく反対され、あまり行くことができませんでした。
あることがきっかけで体調が悪化し、病床で苦しみの中にあった時、自分の苦しみをも十字架の上で負ってくださるイエス・キリストを信じました。それだけではなく、イエス・キリストが十字架の上ですべての人の罪を赦されたように、障害をもった自分をからかい、いじめた学校の友達たちを赦し、また、神様を知らないがゆえに、教会に行かせてくれなかった父親を赦してくれるように、祈るのでした。
その彼女の心に、主イエス・キリストはおいでくださったのです。彼女は自分の心においでくださった神様をその心の目で見たのです。それだけではありません、まるで月が太陽の光を反射して輝くように、彼女の存在から神様の輝きが映し出されていました。
そして、その神様の輝きを反映しながら、「平安」「平安」「平安」という言葉を残して、彼女は天国へと旅立っていったのです。
彼女の姿は、まるで東方の博士たちが星に導かれてイエス・キリストのもとにたどり着くことができたように、それを見ていた人たちを神との出会いへと導くのでした。
彼女の母親はその姿を見て、ご自身も同じように神様と出会い救いを受けられました。
その時から、娘のことを通して、神様と出会うこと、救われることがどれほど素晴らしいことかを、生涯をかけて出会うすべてに人に証しされたのでした。
「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」(マタイ5:8)
2012年12月7日金曜日
偽りの言葉
月に一度行われるキリスト教入門講座の日でした。
モーセの十戒シリーズを学び始めて今日で九回目。
「偽証してはならない」(出エジプト記20:16)から学びました。
偽証とは分かりやすく言えば、真実でないことを証言することで、嘘をつくことです。
「嘘をつく証人」は神様がもっとも嫌悪されることの一つであることをしりつつ、人は何と数多くの嘘をついてしまうことか、改めて気づかされました。
また分かっていても、自分を変えることができない。そんな弱さを抱えているのです。
けれども、それは人間にはできることではないが、神にはできる。自分の現実が見せつけられたとしても、神様はそのような者をも変えてくださる。聖書のみ言葉から力を与えられ、祈りました。
「むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。」(箴言30:8)
モーセの十戒シリーズを学び始めて今日で九回目。
「偽証してはならない」(出エジプト記20:16)から学びました。
偽証とは分かりやすく言えば、真実でないことを証言することで、嘘をつくことです。
「嘘をつく証人」は神様がもっとも嫌悪されることの一つであることをしりつつ、人は何と数多くの嘘をついてしまうことか、改めて気づかされました。
また分かっていても、自分を変えることができない。そんな弱さを抱えているのです。
けれども、それは人間にはできることではないが、神にはできる。自分の現実が見せつけられたとしても、神様はそのような者をも変えてくださる。聖書のみ言葉から力を与えられ、祈りました。
「むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。」(箴言30:8)
登録:
投稿 (Atom)