2013年7月29日月曜日

サマースクール

土曜日、日曜日と1泊で、教会学校のサマースクールが行われました。


今回は、柏にある教会に合流させていただきました。


プールに行ったり、庭でスイカを食べて、種を飛ばしたり?、花火をしたり、楽しいプログラムも盛りだくさん。


でも、一番大切なのは、聖書の御言葉を学ぶこと。


日曜日の礼拝は、大人と子どもの合同礼拝で、子ども達がサマースクールで学んだ、御言葉を語ります。


純粋な子ども達が語る御言葉と共に神様が働いて、メッセージがストレートに心に飛び込んできて、一緒に参加する子どもから大人まで一同の心を感動で満たします。本当に感謝なひと時でした。


千葉シャローム教会では、留守を守る方々で礼拝が行なわれました。
皆さんの篤いお祈りにも感謝します!


お祈りのお陰で、子どもたちも、さらに一歩神様に近づくことができ、心も大きく成長できたと思います。






2013年7月25日木曜日

主の御名を唱える

「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 
 我らは、我らの神、主の御名を唱える。」(詩編20:8)


礼拝で語られた御言葉。


これは偉大な王ダビデの詩です。


ダビデは、すべての戦いにおいて勝利を得ました。それは彼が主により頼み、主が彼と共におられたからです。


一介の羊飼いの少年であったダビデが、いかにしてイスラエルを統一し、イスラエルの王となり、あの輝かしい黄金時代を築き得たその秘訣は、ダビデが主の御名に対する信仰に、いかに徹底していたかということです。


御名の連祷(繰り返し唱えること)は彼の力、彼の勝利、彼の最大の戦力、すべてのすべてでした。


イスラエルにおいて御名(ハッシェーム)は神ご自身にほかなりません。


御名が唱えられるところに、神はおられ、共に働いて下さるのです。


「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」(出エジプト20:24b)


千葉シャローム教会では、この聖書の信仰に従い、主の名を呼んで神を礼拝します。


「わたしは主である(文語:我は主なり)。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)





2013年7月10日水曜日

水がめを置いて



















祈祷会で学んだ聖書の言葉


ヨハネによる福音書4章28節~30節

:28 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
:29 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、  この方がメシアかもしれません。」
:30 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。


自らの罪深い生活に後ろめたさを感じながら、人の目に触れないように生きていたサマリアの婦人が、イエス・キリストとの出会いを経験した後、まったく新しい人のようになって、もと来た町へと向かってイエス・キリストのことを伝えるために人々の所へ大胆に出ていきます。それも、水がめを置いて。


この女にとって、水がめは生活のために一番大切なものと思われます。
それを置いて出かけていった姿は、わたしたちに大切なことを教えます。


水がめは井戸から水を汲むために用いていたもので、それは生活には必要なものですが、彼女の心を満たすものでは当然ありませんでした。


でも、イエス・キリストと出会い、イエスの本性に触れたとき、彼女の心の中に湧き出る泉が与えられたのです。


イエスは言われました。
「わたし(イエス)が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」


イエス・キリストは、人の心をいつまでも満たし続けることができるお方です。






2013年7月8日月曜日

ファミリー・チャペルコンサート













昨日のファミリー・チャペルコンサートには、教会に何度かおいでくださった方々、教会は初めてという方も出席して下さいました。親子で参加してくださった方もおられました。皆さん、ありがとうございました。


聖歌隊の皆さんの賛美もとっても良かったです。皆さん、お疲れ様!!
子どもたちの歌も、とってもかわいくて、純粋で、感動しました。


初めて来られた方が、心が洗われた、いやされた、もっと拍手がしたかったと感想を語ってくださいました。


たくさんの方においでいただきましたが、もっともっと多くの方に聞いてほしかった、というのが正直な思いです。こういう機会をたびたびもちたいと思っています。次のチャンスをお見逃しなく!!







2013年7月6日土曜日

明日















いよいよ、明日は、ファミリー・チャペルコンサートです。


天候を祝してください、と祈っていましたが、まさか梅雨があけてしまうとは。


明日も暑いようです。冷たいお茶やお水も用意していますので、ご安心ください。


皆様のおいでをお待ちしてます!





2013年7月5日金曜日

視聴覚教材

今日は、キリスト教入門講座がありました。


いつもは、マタイ福音書をシリーズで学んでいますが、今日は少し離れて、キリスト教の大切なテーマ「罪人の救い」について学びました。


聖書はイエス・キリストの十字架の身代わりの死によって、人間の罪が赦され、救われるといっています。


聖書の基礎がないと、イエスが十字架で身代わりになったことと、罪人が赦されることが、どういう関係にあるのか、理解するのは難しいかと思います。


そこで、神様が旧約聖書の時代から、様々な出来事を通して、教えて下さった救いの原理の代表的な4つに注目しました。これは、罪人の救いに関する「視聴覚教材」といえます。


今日は、その一つ目の「いけにえ」についてシェアしたいと思います。


旧約聖書にあった、「いけにえ」の制度。


人が罪を犯したとき、牛や羊を連れてきて、頭に手を置き、それに罪を転嫁します。
本来は罪を犯した人自身が罪の償いとして死ななければなりませんが、動物に手を置いて身代わりにいけにえとして捧げられることで、その人の罪が赦されると神は言われたのです。


これが罪が赦される手段でした。


後に、イエス・キリストが地上に来られたとき、バプテスマのヨハネという人が、イエスを指してこういいました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。


これは、イエスという人が、すべての人間の罪の代わりに捧げられる「いけにえ」となられたということを意味しています。


イエス・キリストの十字架の意味が少し理解できたでしょうか!?