2012年1月8日日曜日
弱い時にこそ強い
礼拝では、出エジプト記3章のモーセと神様との出会いの場面を学びました。
奴隷としてとらわれているイスラエルの民をエジプトから解放する使命を神様から託されたモーセですが、この任務は彼にとってはあまりにも重いものでした。けれども、彼は自分の弱さをかなぐり捨てて、神の言葉に従っていきます。
「わたしはある」と言って、自分の無を埋め尽くす方が共にいてくださることを信じました。
そのとき、彼はイスラエルの人々を、エジプトから解放するという世紀の大事業を成し遂げることができたのです。
彼の生涯を学ぶとき、「わたしは弱い時にこそ強い」(Ⅱコリント12・10)とのお言葉が迫ってきます。
午後は、ハッピーサンデーが行われました。
連休で出かけているお友達もあったりと、少人数の集まりでしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。
お箸で大豆をおわんからおわんへ移すゲームでは、牧師、先生、ご父兄の方も加わり、チームで競いとても盛り上がりました。
次回は、3月の6年生を送る会の準備のため、1月22日14:30に集まることになっています。
2012年1月7日土曜日
幸せな日曜日
明日の午後は、子供たちのための集い、「ハッピーサンデー」があります。
文字通り、楽しく、幸せな日曜日を過ごしてもらいたいと思っています。
昨年の2月から初めて、もう1年がたとうとしています。
去年のクリスマス会では、ハッピーサンデーに来てくれているお友達が手話付きの賛美をしてくれました。純粋な子供たちの姿と、子供たちを愛される神様の愛に触れて、手話を教えてくれていたお母さんや先生も感動して思わず涙がこぼれました。
さて、今年も新年から元気よく行っていきたいと思います。
新年ということで、聖書のお話しに加え、かるた大会、ビンゴゲームも行う予定です。
午後2:30~ 4:00頃まで
ご父兄の皆さんもおいでいただければ嬉しいです!
文字通り、楽しく、幸せな日曜日を過ごしてもらいたいと思っています。
昨年の2月から初めて、もう1年がたとうとしています。
去年のクリスマス会では、ハッピーサンデーに来てくれているお友達が手話付きの賛美をしてくれました。純粋な子供たちの姿と、子供たちを愛される神様の愛に触れて、手話を教えてくれていたお母さんや先生も感動して思わず涙がこぼれました。
さて、今年も新年から元気よく行っていきたいと思います。
新年ということで、聖書のお話しに加え、かるた大会、ビンゴゲームも行う予定です。
午後2:30~ 4:00頃まで
ご父兄の皆さんもおいでいただければ嬉しいです!
2012年1月6日金曜日
日ごとの糧を
午前中に月に一度行われているキリスト教入門講座が行われました。
今は、マタイによる福音書をテキストとして、とても有意義な学びの時をもっています。
今日は「主の祈り」というイエス・キリストが弟子たちに教えてくださった祈りの後半部分を学びました。
その一つは、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6・11)です。
新改訳という聖書では、「わたしたちの日ごとの糧をきょうもお与えください」となっていました。
どちらも同じ意味ですが、御言葉から教えられることを少しご紹介したいと思います。
①明日のことは思い煩わなくていい
神様を信頼していくならば、その日食べられなくなるときはない、という力づよいお言葉です。その日暮らしをしなさいとか、無計画にという意味ではありませんが、明日のことや、将来のことは神様の御手にゆだねる生き方を教えています。すべてを任せることができ何の心配もないなんて、すばらしいことではありませんか。
②祈りと働きの両立
祈っても何もしなければ、ある意味神様もどうしようもありません。祈ったことに対して、わたしたちの側でも働きかけなければなりません。でも不思議と、その働きは自分の力を超えていた、ということをしばしば経験します。神様は働いてくださっているからです。
③自分のことだけではなく
この祈りは「わたしに」という自分中心の祈りではなく「わたしたちに」というものでした。自分よりも恵まれない人たちを配慮し、ときには分け与えることです。実は、わたしたちはそうやって多くの人に支えられて生きてきましたし、その背後にあって神様の御手がわたしたちを支え続けてくださったのです。
学んでいるうちにとても豊かな気持ちになりました。自分は自分で生きているのではなく、生かされていると実感させられたからです。
2012年1月5日木曜日
今日は何の日
今日は聖イエス会の創立記念日。
66年前の1946年の今日、神様は御言葉をもってこの群れを起こされました。
「なんじその名をイエスと名づくべし。おのが民をその罪より救い給う故なり。」(マタイ1・21文語訳)
創立者夫人はそのときのことを次のように綴っています。
「聖イエス会! 廃墟と化した焦土の中から、小さな若芽が萌え出ました。それはユダヤのベツレヘムの馬小屋の中にて呱々の声をあげられたイエス様にも似ております。・・・
当時のユダヤは、ローマの支配下にあって苦しみ、あえぎ、民衆は救い主を待ち望んでいました。その時、人知れず最も低いところにお生まれになられたイエス様。命の水の一滴もない人生に、命の水のわきいずる源泉がお生まれになった。」
千葉シャローム教会も聖イエス会の一教会として、イエス様と同じ歩みをさせていただきたいとの熱い思いを抱いています。
2012年1月4日水曜日
主の名を呼んだ
創世記4章26節にエノシュという人物が登場してきますが、彼の名前は「人」という意味で、弱さ、もろさが強調されています。
これは人間とは、強そうに見えても、その実は弱くもろい存在であることを示していて、その弱さの自覚が主の御名を呼んで祈ることにつながっていったのでした。
「御名」とは神様の名前のことですが、これは単なる名前ではなく神様そのものを表している特別な言葉です。それは神様の実体、神様の本質を表しています。
そして、聖書は「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」と約束しています。
自分の本当の弱さやもろさ、また罪深さを自覚できる人は幸いだと思います。エノシュがそうであったように、神様の御名を呼び求め、救いを経験することができるからです。
もし、あなたが救い、助けを必要と思われますなら、主の御名を主の御名は呼んでみてください。
主の御名は「我は主なり(口語では「わたしは主である」)です。
「わたしは主である。これがわたしの名である。」(イザヤ42:8 口語訳)
2012年1月3日火曜日
どこにいるのか
新しい年から、聖書通読を始める人は多いことでしょう。
デボーションガイドというツールを用いると、3年で旧約聖書1回、新約聖書2回通読できるようになっています。千葉シャローム教会では、3年で聖書通読にチャレンジしようと勧めています。
今日は創世記3章を読みました。
心の隙間を狙う悪魔(サタン)のことが記されています。
ある本で、自殺未遂をした人や、殺人事件を起こしてしまった人が、そのようなことをする気もなかったのに、背後から聞こえてくるささやくような声におもわず従ってしまったと証言している、ということが書かれていました。サタンや悪い霊の存在を思わせる言葉だと思います。
人の心の隙にサタンは入り込み、ついに人は罪を犯し、神様との親しい交わりを避けて、身を隠さなければなりませんでした。罪とは、あの罪、この罪ということだけではなく、神様に背を向けるという意味があります。その時の人間は自分の姿を恥ずべきものと認めなければなりませんでした。
これが人間の本質だ、本当の姿だと聖書は言っています。
けれども、そのように神様に背を向け、神様から離れて罪の道を歩み続けている人に対して、神様は「どこにいるのか」と尋ね求めてくださっているのです。
今日、あなたはどこにいますか?
デボーションガイドというツールを用いると、3年で旧約聖書1回、新約聖書2回通読できるようになっています。千葉シャローム教会では、3年で聖書通読にチャレンジしようと勧めています。
今日は創世記3章を読みました。
心の隙間を狙う悪魔(サタン)のことが記されています。
ある本で、自殺未遂をした人や、殺人事件を起こしてしまった人が、そのようなことをする気もなかったのに、背後から聞こえてくるささやくような声におもわず従ってしまったと証言している、ということが書かれていました。サタンや悪い霊の存在を思わせる言葉だと思います。
人の心の隙にサタンは入り込み、ついに人は罪を犯し、神様との親しい交わりを避けて、身を隠さなければなりませんでした。罪とは、あの罪、この罪ということだけではなく、神様に背を向けるという意味があります。その時の人間は自分の姿を恥ずべきものと認めなければなりませんでした。
これが人間の本質だ、本当の姿だと聖書は言っています。
けれども、そのように神様に背を向け、神様から離れて罪の道を歩み続けている人に対して、神様は「どこにいるのか」と尋ね求めてくださっているのです。
今日、あなたはどこにいますか?
2012年1月2日月曜日
闇のあるところに光を
新年あけましておめでとうございます。
今年も皆様の上に神様の祝福がありますように。
昨日は、初詣は教会で、ということで元旦礼拝が行われました。
今年一年間を導く、「純金で燭台を作りなさい」という標語の御言葉を学びました。
燭台とは、教会のことを意味し、またクリスチャン一人一人を指しています。
燭台に盛られた油に火を点火することで、暗闇に光を照らすことができます。
燭台が純金で作られること、それは、何の混じり気もない純粋な器、純粋な信仰を持つとき、クリスチャンは、光の源であるイエス・キリストとともに人々の心を照らすことができるのです。
千葉シャローム教会が、この地域を照らす心の灯台となることができるよう、お祈りしています。
今年もよろしくお願いいたします。
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