2015年2月14日土曜日

ここに愛がある


オープン礼拝では、絵本「天の笛」を朗読付きの映像で見ました。


「ヨシ、ぼくが行こう!」


雪に覆われてしまった大地で、次々と死んでいく仲間を救おうと
一羽のひばりが太陽に挑んでいきます。


物語を通して、本当の勇気とは何か、真実の愛とは何かを教えられます。


また、友のために命をかけたひばりの姿と、イエス・キリストの十字架の姿が重なります。


「友のために自分の命を捨てること、これ以上の愛はない。」(ヨハネ15:13)


「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4:9,10)














2015年1月4日日曜日

新たに生まれる

元旦礼拝、新年最初の聖日礼拝は「新たに生まれる」をテーマにみ言葉が語られました。



イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」・・・「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」
ヨハネ3:3,5,6
 
 
 
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。Ⅱコリント5:17
 
 
 
 
わたしたちが新たに生まれるために、キリストは十字架において、わたしたちのすべての罪を背負い、身代わりに死んでくださいました。神は愛です。
 
 
 
 
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネ3:16
 
 
 
 
「神は愛なり」 Ⅰヨハネ4:16
 
 
 


2014年12月15日月曜日

わたしたちを愛して


14日(日)はクリスマスのオープン礼拝でした。



聖歌隊と子ども達の合同で、クリスマスの聖誕劇を、わたしたちのためにお生まれくださったイエス・キリストに心を込めて捧げました。



礼拝堂一杯に神様の愛が満ち溢れたように感じました。



沢山の方々がおいでくださり、良かった!感動した!と口々に言いながらお帰りになられる姿が印象的でした。



イエス様、わたしたちのためにお生まれくださって、ありがとうございました。



「神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を(わたしたちを)愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠の命を得るためです。」(ヨハネ3:16 リビングバイブル参照)


2014年12月8日月曜日

神は我々と共におられる


アドベント(待降節)第2週



礼拝では、羊飼いの礼拝の箇所が語られました。



ルカによる福音書2章8節~20節

2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアで   ある。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。



救い主誕生の知らせは、ベツレヘムの郊外で野宿していた羊飼いたちに告げられました。



王でもなく、祭司でもない。誰よりも神様から遠く離れたような羊飼いたちに、喜びの知らせは届けられました。



彼らは貧しさゆえに、神様なしにはひと時も生きていられない人たちであり、神様を最も必要とする人たちでした。



羊飼いたちは、言ったことでしょう。
「こんなわたしのところにも、救いがやってきた。」
「こんなわたしのことも、神様は愛してくださった。」



お生まれになった救い主イエス・キリストを礼拝した彼らは、実感したことでしょう。
神は我々と共におられる、と。



この喜びの知らせは、2000年の時を超えて、あなたにも届けられています。
もし、あなたが神様を必要としておられるなら、羊飼いの経験した喜びは、あなたのものとなるでしょう。



「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)







2014年12月2日火曜日

キリストをいだく

アドベント(待降節)が始まりました。



礼拝で語られたみ言葉はこちら。



ルカによる福音書2章25節~32節

 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
 2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
 2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
 2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
 2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
 2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
 2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
 2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」



メシア(救い主)との出会いにシメオンは人生をかけました。
神の御心に沿った願いに神は応えてくださいました。
ついに、彼は救い主キリストと出会い、その感動は頂点に達します。



人は何に人生をかけるかによってその人生の価値がある意味決まってしまう。



わたしたちは何に人生をかけるでしょうか?



2014年10月26日日曜日

ものの本質を変える

礼拝で学んだ聖書の言葉をご紹介

ヨハネによる福音書2章1節~11節

 2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
 2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
 2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
 2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
 2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
 2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
 2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
 2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
 2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
 2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
 2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。


イエス・キリストは、今日も尋ねておられます。


「水をぶどう酒に変え、ものの本質を変えることができる、わたしは誰か」と。


この問いに対する答えが、わたしたちの人生を大きく変えていきます。
あなたは、なんと答えられるでしょうか?









2014年10月3日金曜日

命の有るものと無いもの
















今日の聖書講座では、マタイ福音書シリーズ27 マタイ9章18節~19節、23節~26節を学びました。


指導者(会堂長、ヤイロ)の娘の復活の出来事です。



一般的に死は、人生に終止符を打つもの、人間存在の崩壊・自失と考えられています。



でも、本当の死とは、人間の心(霊魂)に命がないことです。



聖書にも、生きているというのは名ばかりで、その実死んでいる、という言葉があります。



良い例をご紹介しましょう。
有精卵と無精卵のことです。



どちらも見た目は変わりませんが、温めてみると大きく違います。



有精卵は、温めると雛がかえりますが、無精卵はどんなにあたためても雛がかえることがありません。命の有るものと無いものとの違いです。



わたしたちの霊魂に命があるならば、人生において、どんな逆風が吹いても、それに立ち向かうことが出来ます。でも命がなかったならば、その力はありません。



あなたの心(霊魂)は生きているでしょうか? 命があるでしょうか?



イエスが指導者の娘を復活させられたこの奇跡は、イエスは人の心に命を与えることのできる、命の神であることをわたしたちに教えます。



「この方(イエス・キリスト)こそ、真実の神、永遠の命です。」(Ⅰヨハネ5:20)



2014年9月29日月曜日

When You Believe

















礼拝で語られたみ言葉



ヨハネによる福音書11章40節
「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか』と言われた。」

ルカによる福音書5章1節~11節
5:1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し  寄せて来た。
 5:2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
 5:3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
 5:4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
 5:5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
 5:6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
 5:7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
 5:8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
 5:9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
 5:10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
 5:11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。


最近、When You Believe(もし信じるなら)という歌を教えていただきました。
15年前に上映されたPrince of Egypt という、モーセの出エジプトのアニメーション映画の中で歌われているものらしいです。


日本語に訳した歌詞をご紹介します。


幾晩も、祈り続けた
心に希望 抱きながら

もう 恐れない 苦難はあるけれど
山も動かす 力 信じて

奇跡は起こる 信じれば
希望は消せない

誰が奇跡を 成し遂げる
あなたが信じれば 深く心に



大きな信仰を与えられました。




2014年9月26日金曜日

最も重要な勝利

おゆみ野の家庭集会ではシリーズでルカ福音書を学んでいます。



教会の聖書講座でマタイ福音書シリーズを学んでいますので、マタイでは触れない箇所を主に取り上げて学ぶことにしています。



今日は、ルカによる福音書10章1節~20節

10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ    先に遣わされた。
・・・
10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
・・・
10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



イエスに従う人たちが、神の言葉を語り、病を癒し、悪霊に打ち勝つ力と権威を与えられて各地へと派遣され、その行く先々で輝かしい勝利を収めて帰ってきました。



神の業をおこなうという勝利を収めることも素晴らしいことでしたが、最も重要な勝利は、自分の名が天に書き記されていることだとイエスは語られました。



神と出会い、永遠の命を受け、天国の国籍を持つものとなること、これが人間にとって一番価値のあることだと語られています。



「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」(ルカ10:42a)





2014年9月24日水曜日

あなたと共に

 









祈祷会では、秋の聖会で語られたメッセージ「雲の柱、火の柱」を学びました。
 
 
 
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」(出エジプト記13:21-22)
 
 
 
「この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」(コロサイ1:27)
 
 
 
わたしたちの人生は、昼進むようにすべてが喜ばしいことばかりではありません。夜を経験することもあるでしょう。けれども、主はそのようなわたしたちに先立って進んでくださるので、わたしたちは歩むことが出来ます。
 
 
 
また、新約時代の奥義は、主イエス・キリストを心に迎えた人は、神様を外側に見るだけではなく、自分の内におられるお方に導かれながら、生きることができることを教えています。
 
 
 
これこそ、栄光の希望です。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年9月18日木曜日

友人のため











祈祷会で学んだ聖書のみ言葉


「友人のために、命を与える以上の大きな愛はない。」(ヨハネ15:13 バルバロ訳)


イエス・キリストは、十字架上で命をお捨てになったのは、単なる犠牲の死ではなく、すべて信じる者に永遠の命を与えるためでした。自分の命を捨て、他者に自分の命を与える。これ以上の大きな愛はありません。イエス・キリストはただ語られるだけでなく、自ら実践されました。


イエスと出会い、イエスの愛と命に生かされたパウロも言いました。


「神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです」と。


イエスの愛の御思いが迫ってきました。


2014年9月12日金曜日

本気になって

家庭集会で学んだみ言葉の一つ

出エジプト記20:24b

「わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。」


ある本に、「やる気」と「本気」の違いが書いてありました。


「やる気」は外部の状況によって、自分の心のエネルギーを作り出している状態。
    
この場合、文句や言い訳が多くなってしまうといいます。


それに対して


「本気」は外部の状況には依存しない、いわゆる自主性の高い状態です。


だれかに勧められたからではなく、人に強いられたのでもなく、自分で、本気で、神様の名を呼んでみる。そこに神様の祝福があることを信じます。

2014年9月10日水曜日

キリストがすべて

祈祷会で学んだみ言葉

「神によってキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(Ⅱコリント1:30)

「キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。」(コロサイ3:11b)


ホームページリニューアルと共に、ブログも再開します。

祈祷会の最後には日曜日に来られないご高齢の信徒の方のために、一足早く、敬老の日の祝福のお祈りおささげし、記念品をお渡ししました。

教会の礎となってくださっている皆さんに感謝します。

2013年12月19日木曜日

イエスと名づける

祈祷会のみ言葉


マタイによる福音書1章18節~25節


1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人        が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろ      うと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリア      を迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うから      である。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであ      った。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神      は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。


「その子をイエスと名づけなさい」「聖霊によって身ごもっていた」「聖霊によって宿った」


わたしたちの群れは「聖イエス会」と言いますが、その名前の所以は、21節のお言葉にあります。


そして、救い主イエスが聖霊によって誕生したように、この群れも聖霊(神様)によって生まれました。そして、その使命も、イエス様と同じです。これからもイエス様の仕事をしましょう。



2013年12月9日月曜日

神が求められる協力者

















礼拝では、イエスの母となったマリアに告げられた救い主誕生の知らせの箇所を学びました。


ルカによる福音書1章26節から38節まで


1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおと    めの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座      をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りま    せんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子      は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われ    ていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこ    で、天使は去って行った。


マリアの協力によって、ついに救い主イエス・キリストの誕生が実現しました。
神様は、いつもご自分の救いの働きをされるとき、人の協力を求められます。
もったいないことです。


受けた恵みをお返ししたい。そんな思いで昨日は教会周辺の家に、クリスマスの礼拝の案内を配らせていただきました。22日にはどなたでも参加していただけるクリスマス礼拝を予定しています。
どうぞお出かけください。






2013年12月4日水曜日

神様は約束を守られる

祈祷会で学んだ言葉


「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22)


Q.クリスマスは何の日?

A.イエス・キリストの誕生


Q.イエス・キリストの誕生は、偶然?

A.必然


Q.なぜですか?

A.旧約聖書の中に、とりわけ預言者を通して約束しておられるから。
   人類が誕生して間もない時から、つまり創世記の中にも、救い主メシアの出現は予告されていました。



「神様は約束を守られる」ということを学びました。


聖書にはたくさんの約束が記されています。そして、それらは一つも地に落ちないで実現していきます。それを探すのもいいですね。そして、それを信じる幸いな人になりたいです。




「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ1:45)

2013年10月4日金曜日

重荷を負っている人

久しぶりの更新です。


今日の午前中は、キリスト教入門講座がありました。


今週の日曜日に初めて礼拝に来られた、60代の男性が出席してくださいました。


あまり多くは語られませんでしたが、聖書のみ言葉を学び、お祈りしたとき、男泣きに泣いておられたのが印象的でした。


人には言えないいろいろな苦しみを抱えておられるのだと思います。


神様の愛は、その方の心に触れ、包んでくださったのだと思います。


とてもすっきりした、と何度も言って、帰って行かれました。


「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
                                           (マタイ11:28)


明日は、教会の若いメンバーの結婚式が横浜の教会で行われます。
10年間、共に歩んできたメンバーが嫁いで行かれるということで、少し寂しくはありますが、新しく築かれるお二人の歩みが祝福されますよう祈ります。


2013年9月8日日曜日

患者になりきれる人

心臓外科の名医・天野篤医師は、治療がうまくいく人、元気になれる人はどんな人か、それは「患者になりきれる人」だと言いました。


「患者になりきれる人」とは、大変な状況の中にあっても、自分の病気から目をそらさず、病気から逃げず、腹をくくって治療に向かう人。また、前向きな気持ちを失わず、あきらめず、生きることへの目標や希望をもっている人。
 

そして医師を信じて、医師と共に治療に集中し、専念する人。
 

このような患者さんは、そうでない人に比べて、すーっと回復していくことが多いのだそうです。
 

また、この医師になら命を委ねられる、と思ってもらえると、医師のほうもその思いに何としてでも応えようという気持ちが強くなり、患者さんの強い思いは、ついには医師を動かすというのです。
 

一方で、「患者になりきれない人」もいるのだと言います。
 

それは、いろいろな治療があって、迷いに迷って一つの治療方針を決めたとします。


この医師のもとで、手術を受ける、と決めますが、まだ他にももっとよい治療方法があるのではないかと考え、また迷って、ジタバタしてしまう。

 
その人は、なかなか患者になりきれず、医師との良好な信頼関係を築くのは難しいのだそうです。


今日のオープン礼拝では、聖書に登場する一人の「患者になりきれた人」を紹介しました。


その女性は、12年間病と闘い、いろんな治療を試みましたが、ますます悪くなる一方で、経済的にも、肉体的にも、精神的にも追い込まれてしまいました。そのようなときに、彼女の耳に入ってきたイエス・キリストのうわさを通して、彼女はイエスこそ自分を救ってくれる救い主、神ご自身と信じて、この方に自分の命を委ねたのでした。結果は次の御言葉の通りです。


マルコによる福音書5章25節~34節

:25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
:26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますま    す悪くなるだけであった。
:27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
:29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
:30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
:31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
:32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
:33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」



彼女の信仰が、イエスの内にある神の力を引き出したのです。  神は愛なり!

2013年8月27日火曜日

わたしが変われば

日曜日の礼拝では、昨年8月にイエス様を心に迎え、救いを経験された80歳代の女性が、その時の体験談を語って下さいました。


ある宗教で苦しみ、また、娘さんの病のことで悩んでいたこと。
その折に、あるクリスチャンとの出会いがあり、その姿に惹かれ、教会に行かれ、不安が和らいだこと。
その後、自宅に教会があることを知り、通い始められたこと。(千葉シャローム教会です)


教会の方々は温かく迎えてくださり、また、娘さんのためにも心から祈ってくださったこと。
そして、昨年の8月の礼拝に出席していたとき、救われなければならないのは、娘ではなく、自分であると思わされ、主の御名を呼び求めたとき、イエス・キリストが心に来てくださったこと。
イエス様が心にきてくださったとき、初めて自分が罪人であると分かり、罪の赦しを祈ったこと。
イエス様は自分でも変えられらなかった自分の心を一瞬にして変えてくださったこと。


わたしが変われば、世界は変わるという祈りを実感していること。


そして最後に信仰告白されました。
「イエス・キリストこそ、真実の神、永遠の命です」


本当にイエス様は素晴らしい神様です。





2013年8月5日月曜日

先祖を大切にすること

お盆を前にして、オープン礼拝では、「先祖を大切にすること」について考えてみました。


ご先祖とは、自分の命を生み出してくださった方です。
それをさかのぼって、一番初めのご先祖さまはいったいどなたなのでしょうか。


「進化論」という話しもありますが、聖書は、人間を創造し、生み出してくださったのは、創造主だといっています。


ルカによる福音書3章にはイエスの系図が記されていますが、それはとても興味深い内容です。


イエスから始まって、ずっとさかのぼって最初の人間アダムまで記録されていますが、その最後の言葉は「そして神に至る」とあります。


礼拝では、ご先祖を敬いつつ、その最初となられた創造主なる神様に思いを向け、神に感謝し、神の御名をたたえ、賛美しました。


「あなたの贖い主
 あなたを母の胎内に形づくられた方
 主はこう言われる。
 わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。」(イザヤ44:24)


「ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ
 主の御名を賛美せよ。
 今よりとこしえに
 主の御名がたたえられるように。
 日の昇るところから日の沈むところまで
 主の御名が賛美されるように。」(詩編113:1-3)